コンクリート製浮遊選鉱所
最上町は山形県東北部に位置し、
秋田県及び宮城県に隣接している農林業と観光の町だ。
町政施行は昭和29年(1954)9月からとなる。
鉱山近くの古峰神社は俗称『こぶはらさん』と呼ばれる。
所以は栃木県鹿沼市古峰原(こぶがはら)に端を発する火伏せの神様である。
防火と豊作を願う、明治23年3月建立の由緒正しい神社だ。
大堀鉱山は向町カルデラによって形成された急峻な山岳と、
盆地中央のなだらかな地形の境目にあり、
断層線上にあると考えられていた。
巨大な選鉱所のコンクリートに到達だ。
本坑は大正7年頃から稼行しており、
その後鉱業権者は何度か入れ替わる。
昭和26年4月に
中外鉱業(株)
に買収されて以降、
生産が本格的となり、
飛躍的な発展を遂げることとなる。
企業化された以降の鉱床は、
中の又・西の沢・くるみ平の三か所で、
昭和28年には動力線を架設、機械化が進んだ。
本施設は昭和34年に完成した、
100t/日処理の鉄筋コンクリート製浮遊選鉱施設である。
選鉱所内部には階段が残る。
昭和34年7月末の坑道総延長は、
約6,600mに達していた。
浮遊選鉱場が新設された昭和34年当時、
職員25名、鉱員100名の動員計画が立てられていた。
その後、地元の多数の人々が就労することとなる。
付近には20棟以上の鉱員社宅の他、
事務所・工作場・配給所・浴場などが建設され、
大きな集落を形成していた。
選鉱場は山の斜面に建設されており、
上部で鉱石を砕き、粒度を揃えて、
下部の浮遊選鉱施設へ処理した鉱石を流す工程だ。
鉱石はこのような通路をコンベアーなどで通過する。
ミルやクラッシャで粒を揃えた後、
水と混ぜて泥状にするのである。
中階層には木製の階段も残る。
鉱石には銅と亜鉛など異種鉱物が混じっており、
これらを分離するためにも泥状にした上で浮選剤や捕集剤などを混合する。
複数の階段で上部に向かう。
鉱物によっては粒度が10μ(ミクロン)以下では回収できないものもある。
その場合は浮遊選鉱だけでなく、リーチングなどの工程も必要となる。
リーチングは焙焼後にアルカリなどの溶媒に溶かし出す方法だ。
上層には円形の水槽のようなものがある。
見た目は液体中の個体粒子と上澄み液を沈降分離するシックナーに酷似しているが、
これは位置的にも用途が違うようだ。
これはアジテータ、
鉱石を採掘、粉砕後、
浮遊選鉱前に処理する槽だ。
アジテータは直径は5.1mのコンクリート製。
鉱物の濃度を約30〜65%に調製し脱水する。
今は水が満たされている。
深さは3.3m。
今は撤去されているようだがインペラというプロペラをもって、
約2時間の撹拌を行う。
マウスon 深さ
内部には鉱物や配管が残り独特の色合いだ。
撹拌はエアリフトという液体を高所に送る『揚液管』と呼ばれる配管をも併用する。
これは配管内に空気を送り込み、管内の液体を持ち上げ循環させる装置だ。
別名『気泡ポンプ』と呼ばれる。
泥状の鉱石は『パルプ』と呼ばれる状態で、
スチーム(蒸気)を吹き込むことによって加温を行う。
パルプの排出はアジテータの底部に近い側壁に取付けた配管から行う。
中外鉱業時代は昭和26年から42年の26年間であるが、
生産量からみて、最も隆盛を極めたのは昭和35年から38年までの、
わずか4年間であったと考えられる。
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