鉱泉の湧く坑口


旧音別町は釧路支庁 白糠郡東部、
太平洋に面する酪農、林業が中心の街だ。
平成17年(2005)10月に阿寒町とともに釧路市に合併した。 音別町


街の北部から入山する。
ルート後半は道なき道となるため、
詳細な位置については伏せさせていただく。 アプローチ


鉱区に入ると、ペール缶が朽ちている。
当時の物かは不明だが、
周辺には平場も残る。 鉱区


広大な平場にはかつて施設があったはずだが、
今はその痕跡もない。
ここから更に山中へ分け入る。 平場


辛うじての旧道の様相だが、
長期間棄てられた道のようだ。
ここからはハードルートとなる。 廃道


鹿の角が落ちている。
見ることも多いが、
左右対であるのは珍しい。 鹿角


廃道が続く。
道は更に荒れはじめ、
頻繁に地図を確認する。 廃道


やがて崖下に沢が現れる。
しかし沢は白濁し硫化水素臭がある。
そして人工物が散乱する。 炭鉱跡


付近には鋼製の遺構も散らばる。
どうやら坑口から吹きだす鉱泉のようだ。
北卸坑に到達、圧巻の風景だ。 遺構


塞がれた坑口から吐出する朽ちたレール。
その裂け目から噴出する白い鉱泉。
レールの腐食度が激しい。 坑口


湯温は15.6℃。
温泉法では湯温が25℃以上、
もしくは既定の物質を含有する場合に温泉と定義される。 湯温


この鉱泉の成分が不明なため、
これが温泉と定義できるかは不明だが、
夥しい量が常に噴出している。 坑口跡


坑口は厚いコンクリートで密閉されている。
本坑は昭和32年度(1957)も起業工事中とあり
地表に露出しない雄別累層の十二尺層の採掘を目的としたものだ。 坑口


付近には坑道に繋がるであろう放射塔が倒れている。

尺別炭鉱の炭層発見時期は定かではないが、
明治43年(1910)に鉱区が設定された。 放射塔


苔むした擁壁が続く。

大正7年(資料により10年)に北日本鉱業(株)により開坑、
その後、昭和3年(1928)に三菱鉱業(株)に委譲される。 擁壁


小規模な選炭場の跡も残る。

三菱所有後は 雄別鉱業所 の支坑として発展したが、その後三菱鉱業から分離、
雄別炭礦鉄道(株)所属として繁栄する。 選炭場


終戦後、雄別鉱業所から独立、
雄別炭砿(株)尺別砿業所となる。
当時は奈多内(なたない)坑と双久(そうく)坑によって採掘が進んだ。 選鉱施設


昭和28年(1953)10月には奈多内坑が操業停止、
名称も尺別鉱業所から規模を縮小して尺別炭砿に改めた。
やがて双久東卸坑がドームの上層を採掘していた。 水槽


扇風機の架台かアンカー付きの遺構もある。

そこで新規に開発されたのが双久北卸坑である。
安定体制に向けての期待の新鉱であったようだ。 選炭


これはダブルスロー(Double-Throw)とも呼ばれる、双投型開閉器のスイッチ部分。
on回路が2接点ある開閉器。
2種類の電源を必要に応じて切り替えることができる。 マウスon 双投型開閉器


劣化の少ない碍子が残存している。
碍子の寿命は30年と言われるが、
閉山後からでも54年経過してる。 碍子


足元に危険な突然の穴がある。
水没した斜坑のようで、深さは6.2m。
探索時は十分な注意が必要だ。 マウスon レーザー距離計


北卸坑のあるシベツ沢断層は尺別ドームの北翼、
150〜170Mの厚さの層で最上部の8〜15mに富鉱がある。
これは十二尺層と呼ばれ、最も重要な稼行炭層であった。 選炭所


尺別炭鉱の特徴は、「全山一家」と呼ばれる人々の関係性だ。
孤絶した山中での適度な人員規模が「全山一家」の精神を育み、
戦後の復興や相互扶助を加速させたようだ。 架台







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北卸坑
北卸坑

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