クリープスピーダーによる逓減



北海道で九番目、日本で二百番目に登録されたのが夕張市、
市制施行とともに若菜辺は若菜に、日の出町は平和に変わったのが
昭和17年(1942)4月のことであった。 夕張市


平和礦付近に残るズリ山だ、高さ125m、ズリ捨て面積152,290m2
昭和18年(1943)9月20日から集積開始
それまでズリは切替河川や事業用地の埋立造成に使用されていた。 ズリ山


廃道を追ってしばらく登る。
平和第2坑(平和第二炭鉱)は第1坑の17年後に開坑している。
後発炭鉱として既設設備である第1坑の運搬設備の合理的連絡に留意して画期的な運搬方法が検討された。 廃道


地下の構成は複雑なので、以下の坑内図を準備した。
(A)がメインとなるスキップ斜坑、つまり2区本卸と呼ばれる運搬距離826.7mの石炭搬出専用坑となる。
(D)が鉱員と材料搬入出用の2区添卸と呼ばれる人車斜坑である。
この2本が2区の鉱区となり、ブルーのラインで分割されている。
(A)スキップ斜坑の下46mに存在する(E)が1区ベルト斜坑となり、
2区から搬出された原炭は全て本坑に降下、集約される。
その後(C)の1区水平ベルト坑を経由して(G)の未選ビンに投入後選炭される。 坑内図


標高290m付近に達すると、苔むした電柱が朽ちている。
夕張の中でも清水沢地区は有数のガス地帯であった。
平和礦においては温泉断層、長屋断層と呼ばれるガス断層帯があった。 電柱


架線の無い立ったままの木製電柱も残存する。
2区本坑斜坑開墾中にはガスの湧出が激しく、
一時は100m3/minにも達し、作業中断のひと時もあった。 電信棒


平場には廃墟が点在する。
やがてメタンガスはパイプによるガス抜き設備が完成し坑外に誘導、
昭和27年3月からは熱源として有効利用された。 廃墟


坑内外のガス誘導パイプの総延長は7,500mに及び、
事業用ストーブやボイラ、浴場、坑口暖房に利用された。
これら廃祉もその施設の一部かもしれない。 廃祉


ガスの一部は清水沢火力発電所にも送られ、助燃用として使用された。
これらメタンガスの再利用により、
年間6,000tの山焚炭を節約し、エネルギーの省力化に貢献した。 水槽


延長方向に塞がれた坑口が見える。
あれが(D)2区添卸となる。
運炭専用坑道に対してこちらは人と資材の搬入出坑口だ。 マウスon 坑内図


この(D)人車斜坑は昭和23年8月25日に開坑、
内部には人車と呼ばれた軌道が運転し、
675mの距離を約6分で運行した。 2区添卸


こちらが坑口の延長に残るケーペ巻上機(つるべ式)の(H)基台部分となる。
一回の定員は115名、
250馬力の巻上機が存在した。 マウスon 坑内図


本坑では坑道の鉄化、つまり木製支保工からの変換が積極的に行われた。
坑道維持、支柱夫の減員を目的とし、
全坑道の88.9%が鉄化され、文字通りメンテナンスフリーに近い坑道となった。 巻上機


林立する電柱の廃祉を追って標高を稼ぐ。
目指すは2区添卸の上部に存在する2区本卸、スキップ斜坑だ。
斜面にはかつての道の様な跡が残る。 マウスon 坑外図


平場の中段に坑口の発見だ。
これが延長826.7m、斜度20°の(A)スキップ斜坑坑口となる。
周囲は酷い沼地となり、足元には十分注意して接近してみよう。 マウスon 坑内図


2区本卸(スキップ斜坑)は積年の流れる汚泥で半ば埋没している。
昭和23年10月7日開坑、
地下深くからスキップと呼ばれるトロッコを巻き上げて揚炭するための専用坑道だ。 スキップ斜坑


原炭の搬出には多函式スキップカー、
つまり3両が連結した石炭運搬専用トロッコによる
自動制御の新方式が採用された。 2区本卸


スキップとは坑底で採掘した石炭を専用のトロッコに積み込んで
地上の巻上機(B)によりケーブルカーのような方式でトロッコに連結したワイヤーを巻き取ることで
坑口まで運搬する方式である。 マウスon 坑内図


これは坑内の石炭の流れを表した模式図である。
A本坑坑口とE一坑坑口以上は地上となり、他は全て地下となる。

左上の切羽からの原炭は@一片ポケットから投入落下され下部のバッテリー機関車のトロッコに積載される。
チップラーと呼ばれるトロッコ転覆装置から原炭はA下部ポケットに再び投入落下、
メジャリングコンベアと言われる積載式移動コンベアにてC2区本卸の坑底Bでスキップトロッコに積み込まれる。
3連のスキップ装置は地上のEタンデム斜坑巻上機により2区本卸を登る。 坑内模式図
坑口から108.4m下のFスキップチップラーで3連のトロッコごと転覆し、
積載していた原炭をG上部ポケットに落下させる。
ここからは46m下部のE1区ベルト斜坑(一坑)を経由し、前述通り
一区水平ベルト坑を経由しての未選ビンに投入後選炭される。


坑口からすぐ上流にはコンクリート製の架台が並ぶ。
これはKシーブの固定用の架台で、
直径900oのシーブを2連固定していた。 シーブ


シーブとは案内滑車のことで、
直径36oのワイヤーロープのガイドとして、
この上流の巻上機までのロープ伝達を担ったのであろう。 案内滑車


坑底での原炭積込に使用するメジャリングコンベアは
斜坑に平行に設置された幅1,500oの移動式コンベアで、
容量15tをあらかじめ積載して待機する形式だ。 メジャリングコンベア


メジャリングコンベアが動き始めてから積み込み完了までは約30秒。
スキップカーの停止位置により
自動的に一定量の石炭を各車に積み込むことが出来る。 メジャリングコンベア


坑内模式図にある要の装置Fスキップチップラーの拡大図である。
坑底でのスキップトロッコへの石炭積込は専用のホッパー(メジャリングコンベア)にて自動的に行われ、
坑口から108.4mにあるこのチップラー(転覆装置)(F)で再び自動的に原炭が排出される。 チップラー

チップラー(F)というのは斜度20°の坑道内途中にトロッコ3連を停止/固定し
2台の15馬力モーターにより長さ12m、直径4mのトンネルごと自動的に回転、
180度転覆することで、トロッコ内部の石炭を下部に落下させる大型設備の事だ。 レール


スキップトロッコは従来、底開式や丁番ドア式などが採用されていたが、
本坑では180度転覆式の新方式となった。
これは斜度20度の中間位置にスキップ装置が設置されたからだ。 木製電柱


3両連結式スキップカーは幅1,950o、高さ1,550o、
長さ8,900o(2,900o×3両)
容量18m3、自重8,400kgであった。 遺構


2区ベルト斜坑の模式図である。
一片運搬坑道からスキップに積み込んだ原炭は坑口から86.3mにある巻上機で上昇、
46m下の第一坑ベルト斜坑に流される。
巻上は右下のように積車と空車がやじろべえのように交互に運搬される。 軌道設備


坑口から80m程度登ると、全長18mのEタンデム巻上機(B)の遺構が残る。
スキップ巻上機(B)の仕様は運搬条件として精炭600t、運搬距離826.7m、斜坑傾斜20°
スキップ容量15t、1方実働時間5hrと想定しそれに見合う速度や馬力を想定した。 マウスon 坑内図


図面左が坑口方面、上図が横からみた図、下図が上から見た図だ。
青いラインが3両連結式スキップカーに繋がる巻上げ用ワイヤーロープ(1本)で、
Aドラム/Bドラムの両ドラムにたすき掛けとなり、巻き付くことで滑りを防止している。
駆動はAドラム/Bドラムに接続した電動機(モーター)による。
斜めに設置されたガイドプーリーを赤矢印方向に手動ウインチで引っ張ることで、
ワイヤーのたるみや伸びを吸収し、常にロープスリップを防止する機構となる。 斜坑巻上機


運転は (立坑制御) のような速度制御から積込み・排出までが
一連となる全自動運転方式であり
減速(ブレーキ)は全速の1/8に落とすこととなる。 マウスon 運転状態


軌道設備としては斜坑運搬距離826.7mの中央部に
約70mの複線区間があり、
それ以外は軌間1,067oの単線式であった。 軌道設備


最大速度は240m/min(14.4km/h)、低速度は30m/min(1.8km/h)とし、
斜坑距離826.7mを約4.5分で巻上げる。
中央複線部は全速のまま通過、いかに全速区間を長くとるかが要となる。 選炭用水


道床には約150oの厚さの砂利を敷き詰め、
アンチクリーパーと呼ばれる縦方向へのレール移動を防ぐための部材が装着、
継ぎ目の接着も行われ、脱線防止措置がとられた。 配管


平和2区のスキップ斜坑巻上制御にはクリープスピーダ方式という速度制御が採用され、
これは250馬力の主電動機(モーター大)2台と10馬力の補助電動機(モーター小)2台を
それぞれVベルトによって連結し、減速比1:3のなかで若干のベルトのすべり(=クリープ)を利用、
スムーズなブレーキングと安定した低速を実現するのである。 クリープスピーダ


この制御は減速時間の短縮が主目的であり、
補助電動機の制動トルクを有効に利用し
低速から全速へは20秒、逆に全速から低速へは10秒で速度変換できる。 バッテリー

ベルト伝動は、通常図のように@モーター大プーリとAモーター小プーリから成る。
回ろうとする@モーター大プーリとは逆方向に回りたくないAモーター小プーリに
テンションを掛けモーターを回すとベルトは上側が張り側、下側が緩み側となる。
この状態でベルトにはクリープ(=すべり)が発生している。 クリープ


AT車のクリープ現象や、電車の車輪とレールの関係性のように、
実はここには目に見えないすべりが発生しており、
車輪とレールの接触点には粘着部分とすべり領域が混在している。 アンカーボルト


このような微小な転がりすべりの事もクリープと呼ぶ。
クリープとは英語でのろのろとした、または徐々に進行する、
ゆっくり動くという意味の「creeping」からきている。 すりガラス


最高速度時速14.4kmで走行中、所定の位置で緩やかに減速し
長さ12mのスキップチップラ間に長さ2.9mのトロッコが3連自動停止する。
つまり斜坑826.7mを移動中に、およそ長さ9mの連結トロッコを
停止位置±20oの範囲でストップさせる制御なのである。 タンデム巻上機


このインジケーターと呼ばれる深度計は横型と縦型の2種が設置され、
軌道上の2組のスキップ位置を検出、
過巻についてもリミットスイッチにより精密を期した仕様となっていた。 インジケーター





縦型インジケーターは自動運転時の保護装置として
誤作動防止のために設置された。
横型インジケーターは上下するスキップ位置の検出に用いられた。 深度計


小さな碍子が残る。
各インジケーターともワイヤーロープの通過を回転運動に変換し、
減速、過巻、非常停止などのリミットスイッチを装備していた。 碍子

巻上ドラムとガイドプーリーの周囲には
ゴムライニングを施して摩擦を増大
摩擦係数からスリップの防止が算出された。 ドラム


そのゴムライニングの摩耗は、約4か月間に4,000回の巻上を想定し、
その摩耗は2o程度であり
5年間の耐摩耗により取替不要と決定された。 配水池


ブレーキは主電動機軸に直結したドラム型制動機が設置され、スキップトロッコの惰性走行距離は1m以内とされた。
A/B両ドラムにそれぞれ独立したブレーキがあり、この作動時間差が大きいと巻上機への異常歪となってしまうため
両者の作動差が0.5秒を超える場合は非常ブレーキが作動する回路となった。 架台


この非常ブレーキ作動時は惰走距離8〜9m、
惰走時間3.5〜4.0秒で緊急停止し、
その間は保護回路で運転できない仕様となっている。 非常ブレーキ


時期は異なるが125mのズリ山頂上からの俯瞰である。
かつての平和鉱業所方面は運動公園となり、
遺構が残るのは山中のみとなる。 ズリ山


尾根を越えると火薬庫が残る。
イギリス積みの煉瓦製廃墟だ。
火薬庫らしく弱く造られた屋根が抜けている。 火薬庫


周辺には別の遺構も点在する。
こちらは雷管などを扱う火工所のようだ。
やはり火薬庫関連施設は坑口群とは離れた場所に存在する。 火工所


志幌加別川沿いには別の廃祉がある。
これは水利関係の施設のようだ。
選炭用水の確保は当時重要な問題であった。 ポンプ室


現在、本施設は稼働しておらず、
やはり炭鉱時代の設備のようだ。
注意して内部を確認する。 送水ポンプ室


内部は深い水槽でこの時期は全面凍結している。
送水ポンプ室とあり管理者銘板がある。
消火砂が設置され、防火設備が存在したようだ。 消化砂


変わってこれが2区スキップ斜坑の下46mに存在する(E)1区ベルト斜坑坑口である。
2区の原炭も1区の原炭と合わせて本坑に集約され地上に排出される。
ここからもベルトコンベアーにて送炭される。 マウスon 坑内図


(E)1区ベルト斜坑坑口の延長に
向き合う形で存在する(C)1区水平ベルト坑である。
上部には巻上機の遺構が残存する。 マウスon 坑内図


この巻上機は恐らく周辺の一区材料斜坑用の施設のようだ。
巨大なギヤとクラッチ、
ブレーキの一部も残存する。 巻上機


そして(C)1区水平ベルト坑の反対側坑口に存在する(G)未選ビン投入施設跡である。
地下マイナス179mの坑底からようやく地上に現れた原炭である。
この後は日産1,500tのバウム選炭機で処理される。。 マウスon 坑内図


2区スキップ斜坑坑口から登ると、
笹薮の奥に廃墟が残る。
位置から排気立坑の廃祉のようだ。 排気立坑





排気用のダクト、扇風機室が色濃く残る。
当所の海抜は244.2m、
2区本卸/添卸とは少し離れた位置に存在する。 2区主扇


扇風機室の建屋である。
レンガをモルタルで覆った当時にありがちな施設だ。
建設されたのは昭和29年(1954)6月、約70年経過している。 扇風機室

一部はモルタルが崩れ落ち、
レンガの劣化も激しい。
内部も確認してみよう。 煉瓦


2区主扇と呼ばれた排気立坑内部である。
恐らく電動機(モーター)と扇風機が設置され、
風洞を介して坑内の通気を確保するのが目的の施設だ。 内部


本坑で採用されていたのは図のターボファンで、
シロッコファンに比較して羽根は少なく急角度、
回転数が早く風量は多いが騒音や電気消費は多い。 ターボファン


ターボ式の主要扇風機は動力250馬力。
風量5,600m3/min、エハラターボ式扇風機と呼ばれた製品で、
冒頭のメタンガス希釈に貢献したようだ。 エハラターボ式扇風機


平和礦は冒頭に述べたのとおり、
日中戦争(昭和12年7月)から太平洋戦争(昭和16年12月)へ突入する直前
という風雲急を告げる時代に開坑した。 排気坑口


戦争反対や平和を口にできない時代に、平和礦は名づけられた。
前所有者、若鍋(若菜辺)礦時代はガス爆発等の災害が散発、
穏やかで平穏なヤマを願い「平和」と名付けたとされるのが有力説だ。 風洞


坑名の由来としては、
若鍋(若菜辺)礦時代の三坑を平安坑と改称した時、
「平安平和なれ」との言葉が語り伝えられ、そこから名付けたという説もある。 風井


その他にもクリスチャンの鉱務部員の発案説、
また工業高校教諭発案説と
起案は幾多の諸説がある。 扇風機


しかし出炭まではまだ日のある昭和11年10月をもって平和礦の名称は決定されている。
つまり北海道炭礦汽船の慣例でいえば現地で命名することは考えられず、
現地起案を早い段階で本社に積極提議したプロセスが感じられる。 レンガ

昭和39年(1964)11月1区終堀 2区へ集約した時点で
開坑以来の名称『平和礦』は『平和炭鉱』に改称される。
この経緯には通産省による坑名は〜炭鉱にするようにとの行政指導が背景にある。 廃墟


それこそ風雲急を告げる時代背景、
開坑が半年遅れて日中戦争が勃発していれば
恐らく『平和』の名称が命名されることはなかったかもしれない。 排気坑口







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