排気風洞跡 探検: 北の細道 新幌内炭鉱

坑内冷房のある炭鉱





北海道三笠市

   深さ1,200mにも及ぶ炭鉱の地下坑道では、新鮮な空気が薄くなり、
可燃性ガス(メタンガス)や炭塵の舞う劣悪な環境となる。

初期の炭鉱では表層を露天掘りし、ガス発生量も少なく通気についての懸念は少なかった。
しかしその後、坑内進展に伴い通気の必要性が高まり、排気坑口に通気塔を建設し、
その下の炉で火を燃やし、その熱気の上昇気流で一定方向の通気を確保した例もある。
更に採掘区域の深部化に伴い、蒸気式の扇風機、明治30年代には電動式の扇風機が採用され
排気及び入気坑道が分散して配置されるに至る。

このように坑内で発生した種々のガスや粉塵、特に石炭鉱山では可燃性ガス等を薄めて坑外に排出し、
坑内作業者の安全を確保するのが通気の目的だ。
また、深度とともに坑内温度は高温となり、一般に100m深くなるごとに3℃上昇する。
そのため深さ1,100mの坑底では46℃を超える気温となる場合もあり、
これは切羽稼働率の低下を招き、脱水症状の発生等により能率が約5t/人/日 減少する炭鉱も発生、
安定生産上に問題が発生した。

そこで幌内炭鉱では 何と坑内に冷房装置を設置するに至る。
5『片』片盤のことで炭層に沿って掘り進んだ水平坑道、上からの番号 レベル主要切羽に昭和49年(1974)最初の冷房設備を導入し、
やがて深部移行と共に中央集中冷房方式と呼ばれる、坑外に冷凍機を設置する日本初の方式も採用され、
これらにより、脱水症状の発生は夏場で95名に及んでいたものが7名へと7%に減少する効果を得た。

今回到達した南部排気立坑は元の 新幌内炭鉱の鉱区内に存在、
その第一風井に接続し、昭和26年(1951)6月に開削されたものだ。

新幌内炭鉱は昭和6年(1931)に日支炭鉱の鉱区に開坑し、
昭和礦業のもと昭和16年(1941)に北炭と合併、
昭和40年(1965)からは運搬および選炭の合理化のために連絡坑道により幌内へ揚炭し、
翌年の幌内立坑完成に伴い、幌内坑と完全統合する。

マウスon 幌内立坑 鳥観図

探索当初は近隣の住友奔別坑に付随する排気風洞かと机上推論して現地に赴いたが、
位置的には新幌内炭鉱鉱区、内部の痕跡には北炭の『☆』意匠と混乱を招く遺構となった。

結果的には新幌内炭鉱時代に完成した排気立坑ごと、北海道炭砿汽船に統合されたことが判明、
幌内坑の通気システムは写真の幌内立坑と一部はベルト斜坑を経由して入気、
新幌内炭鉱の 『第二風井』330kW 4500m3/min 『布引立坑』600kW 9000m3/min 及び南部排気立坑から排気していたが、
昭和49年(1974)幌内立坑脇に完成した幌内排気立坑(平成16年撤去)稼働後は、
布引立坑が排気風洞として稼働、その他の風洞は休止したようだ。


新幌内坑 第二風井 第二風井 布引立坑 布引立坑 幌内排気立坑 幌内排気立坑

今回は高温となる坑内への技術的な戦術を紐解きつつ、
奥地の排気立坑の全貌を探索してみたいと思う。

C.C.方式・排気風洞・風井・・・



排気立坑
排気立坑





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