北炭空知鉱業所 神威坑跡 探検: 北の細道 空知炭礦跡

北炭空知鉱業所 神威坑跡で避雷針を発見する




北海道歌志内市

   避雷針は雷撃による建物や人に対しての被害を防ぐための設備で、
建物の屋上からさらに高く突き出すように設置される。
これは高いほど雲に近く、避雷針に雷が落ちやすくなるからだ。

避雷針は電気を通しやすい金属でできている。
落雷した雷の電気はそこから導線を通って、
地面に埋めてある銅などの金属棒の電極に向けて流れていく。
このようにして避雷針に落ちた雷の電気は地面に逃がされるのである。 避雷針

当初の避雷針は先が尖っており、積極的に落雷を誘発した。(誘雷) 避雷針

最近では落雷が起こる前に少しずつ放電させ、
落雷を減らすタイプの避雷針も登場している。
これは極性反転型避雷針と呼ばれ、避雷針の間に絶縁層を設けて
避雷針の先端で「お迎え放電」を発生させないことで
雷を落とさせない構造となっている。 避雷針

これらより更に前、昭和47年(1972)以前の避雷針は、
先端から発するコロナ放電によって、
その付近の空中に蓄積されている電気を中和することで、
避雷針の近くには落雷しないと考えられていた。

そこでより集雷しやすいように先端が金メッキをされ、耐腐食性が考慮されていたが、
長年の研究で耐腐食の必要性と効果に関連性が少ないという実験結果が証明され、
現状は銅棒やアルミ棒が使用されている。
突針も鋭利な方が受雷しやすいと考えらえ、
1本よりも複数と、避雷突針と言われる主針1本と副針3本の4股タイプが開発されたものの、
これも後に科学的根拠が少ないことが分かった。 避雷突針

このように避雷針は4つ股タイプ⇒1本タイプ⇒球形タイプと様変わりしてきたのである。


北海道炭砿汽船株式会社空知鉱業所は東南は芦別市、
東北は赤平市に隣接する広大な鉱区を有していた。

明治22年に北海道炭砿鉄道会社が創立し、試掘権が認可、
翌年空知鉱が開坑する。
明治39年(1906)からは神威(かもい)斜坑が開発、大正9年(1920)には神威坑に坑内電車が導入される。
昭和35年(1960)には空知立坑が完成するが、
昭和38年(1963)に神威坑は閉山、同時に北炭より分離して空知炭礦(株)となる。
昭和51年(1976)には最盛期を迎え121万3千t/年の最高出炭を記録、
しかしその後、平成7年(1995)に105年の歴史に終止符を打った。

沢沿いの空知炭礦については 以前に紹介したが、
今回は谷間に広がった歌志内の街を見下ろす
山の上の炭鉱跡の探索だ。
発見した小さな遺構には、多くの歴史が潜在していた。




避雷針・排気立坑・給水装置・・・



排気立坑
排気立坑





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