轍叉の先に


入山ポイントは市街地から30q。
林道の様な廃道はあるものの、
鉱山自体もすでに忘れ去られた場所にある。 入山


標高160m付近から240m付近を目指す。
5万分の1地形図では細い等高線(主曲線)は20mごと、太い等高線(計曲線)は100mおき、
2万5千分の一ではそれぞれ10m/50mとなるので読図には注意が必要だ。 廃道


30分以上登ると、里山とは異なる、
かつて人の手が入ったような山並みとなる。
自然にはあり得ない、人工的な傾斜や平場がある。 人工物


このなだらかで植生の薄い一部はズリ山かもしれない。
本坑は昭和6年(1931)から初期探鉱を開始し、
全鉱区内に露頭十数か所を確認した。 ズリ山


いよいよ確然たる遺構。レールの存在だ。
レールは高さが63o程度、9sf級の規格だ。
レールは1mの重さでいう、新幹線なら60sf級だ。 レール


付近には鋼製の部材が腐食して朽ちている。
ようやく目的の鉱床に到達だ。
ここは製錬や運搬の基地ではなく実際の採掘場所だ。 廃祉


ズリに埋もれてワイヤー荷締機が残存している。
ギヤにラチェット式の爪がかかった状態でハンドルを往復させると、
円盤にワイヤーを巻き付け、爪を外せばフリー状態で緩めることができる、
崩れそうな荷物を締めこんで固定する手動式のウインチだ。 (マウスon ワイヤー荷締機)



これは『山鎚』と呼ばれた坑道掘削用の専用スコップだ。
狭い坑内でも大きく振れるように柄がほとんどない。
炭鉱ならカキ板と呼ばれた手工具だ。 スコップ


トロッコの台座が残る。
連結用のシャックルも付属している。
前後の車輪同志が近接しているのは小回りが効くようにだろう。 トロッコ


軌間は508mm(20インチ)程度の狭軌だ。
ホイールベースが長ければ安定はするが、
内輪差も大きくなり回転半径も必然的に大きくなる。 軌間


弧を描くレールが斜面に埋没している。
レールには轍叉(てっさ)と呼ばれる交差部分が存在する。
現場では確認できなかったが、これだけの規模なら存在したのかもしれない。 レール


ズリ山らしき部分が点在する。
瀬戸内海小豆島の西に直島という島がある。
ここには大正6年(1917)、国家的に各地から鉱石を集め一括して製錬する施設が建設された。
本坑からも一時期、香川県直島に鉱送されたという。 ズリ山


再び別のトロッコの車軸が残っている。
鋳鋼製の車輪と台座の部分は木製だったのか、
ほとんど痕跡がない。 トロッコ


更に上流域には大きく陥没した一角がある。
これは 地盤などの一部が落ち込んで穴ができている。
恐らく下部に坑道が存在するのだろう。 陥没


陥没の底には巨岩が崩れ、
坑道の一部が口を開けている。
ここが坑口ではなく下部の水平坑が崩れたようだ。 坑道


陥没地点からは地面が窪んだルンゼの様な直線が見える。
恐らく地下の坑道が広範囲に陥没しているのだろう。
坑道の陥没に沿った谷のようだ。 坑道


その先では再びいきなりの陥没孔があり、
下には坑道が覗いている。
高さは9m程度ありとても下れない。 坑道


さらに人工的な鉱床跡は続く。
どこが陥没するかわからないので、
谷間には入らず、カンテ部分を歩く。 ズリ山


上部には鋼材やレールで落石を防止された穴がある。
これは陥没ではなく、 オアービン投入口かもしれない。
これまでの陥没とは異なる様相だ。 オアービン


オアービンは坑内の貯鉱舎のことで、
上部から鉱石を落下させ、下の坑道で貯鉱した後、
坑内破砕などを行ってから、郊外へ運び出すのである。 遺構


少し進むと広大な平場が存在する。
かつて建屋があり、トロッコが行きかっていたのかもしれない。
品位は決して高くなかったというが、何度も探鉱を行った履歴がある。 平場


やがて近隣の鉱山に買収されたが、
当初は指導を受ける形で採鉱、
昭和8年に成立した財閥への売山は喜ばしいことであったようだ。 鉱床







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鉱床跡
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