硫黄鉱山跡 探検: 北の細道 硫黄鉱山跡

Tc鉱山跡で蒸気製錬を垣間見る


 大正末期から昭和にかけての一時代は、
国内の製紙業や化学繊維工業のめまぐるしい発展とともに、
硫黄鉱業も比例して生産規模が拡大していった。

戦時色が濃くなる過程で、硫黄鉱床も重要資源と認識されるが、
戦局が大きく悪化した昭和19年(1944)の企業整備令により、
松尾鉱山(岩手県)や 幌別鉱山 などの大規模鉱山9か所を除き、大部分が休山する。

戦後は製紙業、化学繊維工業での硫黄の消費が著しく加速、
小規模な硫黄鉱山が飛躍的に増大し、
昭和21年(1946)には10鉱山であったものが、 昭和28年(1953)には36鉱山にのぼった。

露天掘りの硫黄鉱床は他の金属鉱山に比較して初期投資が少なくて済み、
起業への負担が少ないこともその原因の一つだった。
しかし鉱山数の増加と休戦後の不景気は、 硫黄価格の暴落をもたらし、
その後、弱小鉱山の閉山が相次ぐこととなる。
以降は閉山鉱山分の生産を他鉱山で補い、年間20万t台の生産が維持された。



本坑は発見時期も定かではなく、昭和26年(1951)10月から27年8月まで
の間に約4,000tの硫化鉄鉱(硫黄品位30%)を採掘した記録がある。

不確かな情報ながら、『硫黄・硫化鉄鉱鉱床概査報告』という資料の存在は、
十分な探索への遠因となる。

海抜214m〜350m付近に存在した、 かつての硫黄鉱山を探索する。



製錬所・硫黄・噴火口・・・




硫黄
硫黄鉱床



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