上音別炭鉱跡 探検: 北の細道 音別炭鉱

上音別炭鉱 注水消火の惨劇





北海道釧路市音別町

 繊維(セルロース)とミネラルからできている木材を普通に焼くと灰になる。
空気中の酸素と木材の繊維を構成する炭素や水素が結びついて、
二酸化炭素になって大気中に逃げてしまい、ミネラル成分が灰となって残る。

でも酸素を入れずに窯の中で木材を蒸し焼きにすると、
酸欠になって、繊維を構成する元素のうち大部分を占しめる炭素だけが残り、
これが木炭となる。

だから木炭は火をつけても二酸化炭素しか出ないから、
煙もないし匂いも少ない。
つまり木炭は木の燃えカスではなく、高温の窯の中で炭素だけにしたものである。

石炭や石油、天然ガスのように地面を掘って取り出す燃料は『化石燃料』と呼ばれる。
『化石燃料』は化石からできるわけではなく、
高い圧力と高温、そして長い時間など、燃料になるまでの過程が化石と似ているのが所以である。

炭素には数百度という高い温度で燃えるという性質がある。
炭素の含有が多い石炭は『燃える石』として重宝されてきた。

しかし石炭も炭素以外に硫黄などの不純物も含んでいるため、
木炭と同じように、1,200℃で蒸し焼きにされたものがコークスである。
製鉄に石炭ではなくコークスが使用されるのは、
鉄の中に不純な硫黄成分が混合しないように配慮されているからである。


鉱区付近は明治年間から産炭地として知られていたが、
陸軍軍馬補充部の用地であったために鉱区出願が許可されなかった。

上音別(かみおんべつ)炭鉱は昭和9年(1934)に朝日炭坑として開坑され、
補充部用地が解放された 昭和12年(1937)からは音別炭鉱と名称を変更し、
30名程度で経営された記録がある。
戦中は休坑指定されたものの、昭和32年(1957)に 栄和産業株式会社 の傘下となり、
上音別炭鉱として繁栄する。

その後幾度か休山の危機を切り抜けたものの、しかし昭和38年(1963)をもって閉山を迎える。


今回は釧路炭田の中でも小炭鉱のカテゴリ、
文献も少ない、深い山中の遺構を探してみよう。




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