あなたの知らない増毛ガイドツアー2012
2021年10月10日、増毛町岩尾鉱山跡を巡る、
探索ガイドツアーを開催。
硫黄鉱山跡の坑口と5基の焼取釜、内燃機の遺構等を探索する。
参加者は男女計23名。
関東、東海地方からの参加者も多く、
初参加の方も7名と盛況だ。
岩尾鉱山
の内容、注意事項、スケジュールについてミーティングを行う。
女性の参加者も9名と華やかだ。
藪は大人しくなっているものの、
ほぼ道なき山中をしばらく登る。
事前のマーキングを目印にGPSも利用しての探索だ。
足元に散らばる索道のプーリーやレイルの遺構を
確認しながら山中を進み、ようやく埋没した三坑に到達。
硫黄の用途ついて解説する。
更に山中を進み二坑に到達。
細いレイルが残存する。
ここで岩尾鉱山の歴史、衰退の原因について説明する。
自由時間とし、レイルの先を追う。
ここは本坑の下の旧坑。
埋没した坑口が残る。
レールの高さは63o程度なので、
9kg級だろうか。
皆さんも散開して自由に探索する。
今回は撮影の自由時間を多くとったつもりだ。
一眼レフの所持者も多く、
各自撮影に余念が無い。
再び藪を漕ぎ、斜面を登り新五坑を目指す。
少し開けた斜面はズリ山だ。
ここには驚くべき遺構が残る。
UFOのような鋳鋼の壺、
硫黄製錬のための丸釜(ポット)である。
不思議な遺構に参加者も釘付けだ。
更に斜面の上には煉瓦製の遺構だ。
これは焼取釜の関連施設だ。
ここからは遺構が目白押しとなる。
煙道、コンデンサー、華蔵と、
焼取式製錬の一連の遺構が残存。
1時間程度の自由時間とする。
これは鉱山後期に設置された五基の焼取釜の廃祉だ。
炊飯器の原理で硫黄を抽出するメカニズムをガイドする。
煉瓦製の遺構には精錬後の硫黄が色濃く残る。
更に山中にはコンベアーと索道の内燃機が残存する。
ここは参加者主導で自由に探索していただく。
当時の遺構を見てみよう。
昭和8年頃、山岡内燃機(現ヤンマーディーゼル)で製造された
4サイクルディーゼルエンジン。
皆さんじっくりと観察されている。
巨岩に向かってみんなで撮影会だ。
知った顔、そしてSNSで繋がった仲、
何らかの接点がなくとも同じ趣味の仲間、すぐに打ち解けあう。
再びズリ山を注意して下り、
次の探索ポイントに移動だ。
全員慎重に下る。
ここからは藪の廃道状態だ。
根曲がり竹がしぶとく行く手を阻む。
道なき岩場を注意して歩く。
突然藪が抜けると青い海を臨む高台だ。
ここも鉱床の一部だが、
展望台のように海を臨む。
全員が一列となり、順序良く下る。
この下にも小規模だが、
当時の遺構が残る。
海岸に近い索道起点に到達だ。
再びエンジンが残存。
皆さん興味津々だ。
山中の鉱山跡にて、
内燃機の説明と、
その始動方法などについて解説する。
遺構を抜けると日本海を見渡すズリ山だ。
ここからも慎重に下る。
最後のポイントまでもうすぐだ。
到達したのは、地下水が染み出る一画で、
多くの苔がそこだけ自生する、
不思議な自然の造形だ。
昼食後は少し移動し、
歩古丹の廃校跡の探索だ。
海岸線までの降下は相当な急角度だ。
歩古丹小学校に到着だ。
海岸のすぐそばにある廃校跡だ。
昭和46年の廃止、辛うじて建屋が残る。
学校跡から海岸線沿いに北上する。
付近の集落跡を辿り、
もう一か所の硫黄鉱山跡を目指す。
海岸線の漂流物を見ながら休憩だ。
今回が初めての北海道という方々もいらっしゃり、
植生の違いなどについて話す。
ここからは急角度に登る。
藪が激しいが鉱山跡まではもうすぐだ。
道路から海岸までは標高差54m、直線距離140mとその角度は20°程度となる。
そしてようやく鉱山跡に到達だ。
これは流動炉、
歩古丹鉱山の遺構だ
。
これがガイドツアー最終の案内地点となる。
参加の皆様、お疲れ様でした。
また、たいへんありがとうございました。
今回ご協力いただきました丹保旅館様、岩尾温泉あったま〜る様、
増毛町役場 商工観光課様にはこの場をお借りしてお礼申し上げます。