歩古丹鉱山跡  探検: 北の細道 歩古丹鉱山

歩古丹鉱山で隔絶の海岸線を歩く




北海道増毛町

   北海道における稲作の歴史は浅い。
1700年代後半、つまり江戸時代中盤からの発展である。
その当時、北海道を統括していた松前藩は、米で国務を執り行う事が出来なかった。
米の代わりに交易の中心的存在となったのが、『鰊』(ニシン)である

明治時代から定置網によるニシン漁の網元が多くなり、
それに伴い漁獲量が飛躍的に増加、
大正時代に入ると、東北方面からの出稼ぎ人=やん衆が道内に流入、
留萌周辺は活気に満ち溢れる。

ところが明治30年代には東北日本海側でニシンの漁獲量は激減し、
追って昭和30年代、留萌地方のニシン漁は完全に断絶する。
つまり北海道からニシンが消えてしまったのである。

ニシン漁が寂れた決定的な原因は乱獲、産卵地帯で漁獲制限なしに捕り続けたことである。
水温の上昇も一要因と考えられたが、北のロシアでも同時に資源枯渇が進んだため、
それは大きな原因とはされなかった。


増毛の歩古丹(あゆみこたん)もかつてニシン漁で栄えた村で、
明治時代には30戸以上、昭和40年代にも数軒の世帯があり、
その後廃村となっている。

かつてここには硫黄鉱床があった。
付近に岩尾鉱山もあるが、
本硫黄鉱山は産業として確立しなかったようである。
近隣の住民が採掘、営業ベースに乗る前に閉山となった。

当時は道路もなく、海上からのアクセスしかなかった陸の孤島である。
現在も道路から海岸までは標高差54m、直線距離140mとその角度は20°程度となる。
急角度の断崖を下り、鉱山跡を目指してみよう。






集落跡・廃校・熱風炉・・・



海岸線
( ̄u ̄;)海岸線





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