国力鉱山 奥山鉱床跡  探検: 北の細道 国力鉱山 奥山鉱床

国力鉱山 奥山鉱床で73分の一を歩く




北海道常呂町

 国力鉱山については以前にレポートした。
今回は奥に広がる別鉱床の再探索だ。


明治41年には露頭の存在が知られていた本坑付近は、
大正7年の『網走支庁拓殖概観』によると、すでに29鉱区が設定されていた。
そのうち鉄鉱床が25鉱区、残りはマンガン鉱床であった。
鉱業権者で見ると3社が独占状態であり、
しかしながら豊富な鉱物資源の裏側で、その交通不便な環境下が
本格的な採掘を妨げていた。

昭和16年から企業による経営となり、湧網線の開通と共に、
マンガンそして鉄鉱床として繁栄した。
特にWW2以降は年生産高2万t超となり、従業員数も280名を記録した。

そして機械化の進む昭和31年頃を最盛期とし、
付近には73か所の鉱区が設定、
鉱産が常呂町の一大産額を占めることとなる。

しかしそれは長く続かず、輸入鉱石の値下がりを機に、
昭和39年10月、閉山を迎える。


鉱床図を入手してから3年半、温めた鉱区図を紐解く。



坑口・軸受・閉山・・・



ポンプ室
( ̄u ̄;)ポンプ室





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