三王鉱山跡  探検: 北の細道 三王鉱山

三王鉱山で10年の野外探鉱の軌跡




北海道紋別市

 深い山中における鉱山、どうやって鉱脈の発見に至るのだろう。

鉱床はどこにでもあるわけでなく、一般に地下深くにあり、
これに経済的価値があるかどうかを見極めることを『探鉱』という。

鉱床の一部が地面に露出している部分を『露頭』、 露頭が酸化して変色している部分を『焼け』と呼ぶ。
露頭から崩れた鉱石が谷側に流されたものを『転石』といい、 これらは鉱床を発見するきっかけとなる。


科学的探鉱法の確立されていない時代は、山師と呼ばれる山林に関する事業者が、
地名・伝説・習慣そして土壌や岩石の色、川の水の色と味、
川底の色と植生などからも鉱床の有無を判断した。

「占杖使」せんじょうし と呼ばれる二本の木を地面に向けて歩くダウジングのような方法も利用されたり、
『山の相』の見る山相論も判断材料とされてきた。
これは『金属の精気を望見』することで、具体的には山の主峰に対して北面し、
陰暦の5〜7月(6〜8月)の雨の後の快晴の日、午前10時から午後2時の間に、
二十町(約2q以内)から遠望、霞のかかる場所を探し、快晴の夜に再び確認すると、
鉱床が存在すれば、蒸発する黄赤色の光の烽火(のろし)が見えるとされた。

現代では『物理的探鉱法』と呼ばれる、磁力の方向・電気の流れ方・地震波の伝達速度など、
地下数qに渡って計測、内部の様子を確認する方法や、
同時に『地化学探鉱』と呼ばれる方法も並行して施工される。
これは見込みの立った予想鉱床部分の元素や化学成分を分析する方法だ。
鋼管の先にダイヤのビット(のみ)を装着、これを回転させながら、
地下数百mに孔を開け、取り出した鋼管の中に詰まる岩石を分析する、
『試錐』(ボーリング)が行われる。

今回紹介する三王鉱山は 鴻之舞 の北方7qに存在した金鉱山で、
大正3年発見、長期の探鉱の後、昭和6年から採掘、
昭和9年頃に最盛期を迎え、昭和15年以降は休山状態である。

坑口は別の沢沿いにも存在する中、
旧い製錬所を探して4月の山中を歩く。







製錬所・積雪・探鉱・・・



製錬所
( ̄u ̄;)製錬所





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