撤廃された銅価格差補給金


ニセコ積丹小樽海岸国定公園は昭和38年制定、面積190.09平方キロ。
ニセコ連峰は最高峰のニセコアンヌプリ(1,308.5m) イワオヌプリ、 チセヌプリなど、標高1,000m以上の新旧火山が連なる。
大小10余りの湖沼や湿原が点在し、良質の豪雪地帯でありスキー場も多い。 ニセコ


発足川にそって上流域へ向かう。
地名はアイヌ語の『カムイハッタラ』=神淵に起因する。
かつては鮭がこの淵に群集、ヒグマがこの鮭を取ったという。 発足川


発足林道を遡る。
後半は近隣の 国富鉱山 の支山として坑内採鉱が行われたという。
坑口への期待が深まる。 発足林道


林道の途中から西へ進む。
まずはいつものように水没しての渡渉だ。
正確な鉱床は不明、ここからは森を足で探すこととなる。 渡渉


道なき森をかなりの時間歩く。
沢は上流域となり、人工物はいまだ見えない。
沢に沿った土手を遡ってみよう。 森


そして第一の遺構発見である。
森に残るRC造の土台だ。
通気用か製錬用の遺構だ。 製錬施設


銅の鉱石は種類が多く、
その製錬には湿式と乾式がある。
湿式は鉱石を水溶液で浸出してから電解を行う。 通気


対して乾式は鉱石を焙焼・焼結した後、
石灰石などを加えて融解、マットと言われるハと゚(からみ=鉱滓)を得る。
これを電気精錬などで分離する。 乾式


さらに奥には植生の疎らな台状の土手がある。
これはズリ山ではないだろうか。
登ってみよう。 ゚


これはズリで間違いない。
つまり坑道は近いこととなる。
金に近い色の銅、よって『金』辺に『同じ』と書くそうである。 ズリ


小規模なズリ山だ。
森の中のこの目立つ一角は、
いつも鉱山跡探索のヒントになる。 ゚


ズリ山下部から沢に沿って進むと、
ご覧の汚泥の一角がある。
恐らくかつては坑道があったのだと思われるが現在は痕跡不明だ。 坑口


そしてズリ山の延長には斜面に開く坑口である。
まるで岩の裂け目のような小さな坑口だ。
獣臭があるので、恐らく蝙蝠がいるのだろう。 坑口




坑道は奥に続いており、
少し水没し、支保工も残っている。
装備を固めて入坑してみよう。 坑道


脛までは水没する水深があり、汚泥も深い。
奥からはキーキーとコウモリの鳴き声が聞こえる。
カビ、糞、砂塵と非常に環境は悪いが進んでみよう。 支保工




30m程進むと水没からは免れ、
そして坑内分岐がある。
コウモリがかなり頻繁に飛び回っている。 坑内分岐




右側は崩れた支保工が重なる酷い状態だ。
どうやら立坑だった可能性もあり、
上下に採掘されていたのかもしれない。 支保工


コウモリが飛び回り、
いつの間にか大騒ぎだ。
突然の侵入者に驚いたようだ。 蝙蝠


左坑は大きく崩落している。
すぐに天井から崩れており、
ここへの入坑は中止する。 崩落


崩落地点から坑口方向を振り返る。
天井には静かなコウモリがぶら下がっている。
折り返し、坑口へ戻る。 こうもり


坑口の緑を望む。
銅は延性があり電気・熱の伝導性が良いこと、
そして緑青を生じた以降は腐食が進まないことなどが特徴である。 坑口


昭和24年(1949)は銅価格差補給金が打ち切られた年である。
これを機に銅の統制が撤廃、自由の身になった銅価格であるが、
販売価格は生産者価格から市中価格の66%に引下げを余儀なくされた。 坑口


この価格差補給金撤廃は産銅界に大打撃を与え、
政府に対する救済要望も功を奏さず、
25の中小鉱山が休廃山に追い込まれた。 坑口










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坑口
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