山県炭鉱 釧路興業別保鉱跡  探検: 北の細道 山県炭鉱

釧路興業別保鉱で財閥の鬩ぎ合いを見る




北海道釧路町

   釧路町別保(べっぽ)の炭鉱は明治30年代から大正9年(1920)の財閥による合併、
まで主として二つの炭鉱が採炭を続けていた。
一つが 大阪炭鉱 三井釧路炭鉱(一坑)
もう一つが今回紹介の山県炭鉱 釧路興業別保鉱(二坑)であった。

明治26年、別保国有林内で角材造成中に露頭炭を発見したことに端を発する本坑は、
日露戦争(明治37〜39年)の好景気を後釜に出炭量が増加したものの、
ブラジルに現地から多数の移民が発生することとなり、
個人経営から企業の経営に移管することとなる。

釧路地方初の斜坑、そして新坑の開発も盛んで、
当時の事務所付近には長屋が集中、浴場・飯場と一つの街が形成されていた。
その後財閥による買収、そして春採の炭山、 大阪炭鉱 三井釧路炭鉱(一坑)
との三山合併、これが 太平洋炭鉱 の成立・発足となった。

大正13年には電化、昭和に入ってコンベヤーの導入、通気の機械化など近代化が進む。
戦争ごとに金融恐慌や軍需景気に翻弄され、昭和19年には国策による休山、
終戦後の再開にもかかわらず、資源的に出炭状態は思わしくなく、
昭和24年(1949)11月に閉山を迎える。


今回は町に近い第一斜坑近くの選炭所跡の探索だ。
www上も紹介の多い物件だが、
快晴の10月、ハイキングとして付近を歩いてみよう。





選炭所・復興祭・廃祉・・・



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( ̄u ̄;)選炭所跡





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