11年間、夢の跡



昭和35年(1960)9月完成の立坑に向かう。
他炭鉱と比較して急傾斜の炭層が多かった本坑は採炭の危険度も高く、
機械の導入も技術的に困難な課題を含んでいた。 立坑遠望



夏までは腐食した汚泥に水没する。
昭和37年には鋼製の支保工であるシールド枠による下部の採炭に着手した。
また、「油圧鉄柱」油圧で上柱を押し上げ、20〜30tの耐圧を持つ。約2,700本が使用された など、立坑建設による深部採炭が進むにつれ、最新技術が投入された 立坑


巨大な櫓下部の坑口設備附近である。
ケージからの炭車は、ズリ車と原炭車に分別し、
ズリ車は送り出し、列車としてズリ捨て線へ向かう。 鉄骨


レイルが這っている。足元は安定せず注意が必要だ。
ここには昇降式スイッチバック装置があり、
軌道の一部末端を圧気力により昇降させる。 レイル


これが昇降した姿だ。
このようにレイルの一部を必要な傾斜に達するまで桁が上昇、
短距離で炭車を反転させることができ、操車場の短縮化に貢献する。 昇降装置


いよいよ直下に接近する。
炭車の積換え設備は坑口運転台からの操作で、
ズリ捨て線からの戻ったもの、昇降式スイッチバック行きなどに仕分けられる。 直下




「GHH」グーテホフヌングスヒュッテ社(ドイツ) の銘板のある坑口運転台操作部である。
鉱車接続ピン切り離しを除いて、
すべてこの照光図盤付き運転台から操作される。 坑口運転台


現在は確認できないが、かつては 「ロータリチップラ」トロッコを自動転回、石炭を排出する 装置があった。
これは原炭を積載したままのトロッコを、本装置に載せ
摩擦駆動輪を接触させて トロッコごと一回転させる。 坑口運転台



転回したトロッコから原炭が下部のエプロンフィーダ、
そしてベルトコンベヤーを通じて自動的に選炭施設へ搬送される。
これも坑口運転台からの電磁弁制御により自動無人運転となる。 更衣室




巻室付近は圧巻の景色だ。
ただ、この奥では大きな事故があり、
その痕跡が今だに残る。 マウスon

昭和46年10月29日、閉山から19日後にガス爆発事故が発生した。
機械撤去作業中の5名が犠牲となり、
附近は地盤が揺れ、黒煙と焼けた炭塵が降り注いだ。 爆発


密閉したばかりの厚さ60p、直径7mのコンクリート板も吹き飛ぶ勢いで、
密閉が完了して2.3日後、自然発火の兆候はなく、電源は26日にすべて切断。
坑内の金属片が再落下した際の火花からの引火との見解が発表された。 マウスon


附近には立坑信号設備がある。
これは防爆型で巻室・坑口・坑底を連絡、一部は巻上機鎖鍵装置と連動し、
扉が完全閉鎖していないと、緑色信号灯が点灯しないだけでなく継電器とも接続ロックされている。    信号

奔別は唯一の 「複巻上設備」一坑道にケージ2台、スキップ2台が並行走行する であったために、ケージ側単打信号をスキップ側と判別する必要があり、
巻上機と連動、片側が始動して常用制動が解放されると照光表示も自動消灯した。 信号  


信号の表示内容は『ケージ信号』『人巻二段』『人巻一段』『坑口550m』『坑口340m』『坑口310m』。
『310m−550m』『340m−550m』などである。340mには中段坑道がある。
また、人員昇降プラットフォームは坑口坑底とも2段あり、それぞれから同時に連打信号が発信可能であった。 立坑信号設備   


ベルのある信号盤である。信号は大きく分けて、
ケージ/スキップ運転・単打信号・引綱信号・非常信号の4種が存在した。
ここはほぼ立坑直下で、鉄骨の櫓が圧倒的だ。 ベル


ケージ/スキップ運転信号は坑口/坑底両者の準備完了信号が並列した後、巻室での操作可能となる。
単打は既定の回数ボタン連打によって意思表示を行い、引綱とは立坑途中からの信号伝達のことで、
非常キー作動時は自動的に非常警報ブザーが鳴った。 信号盤


ガイド櫓を下部から眺める。
この上は50.52m。
地下750m(最終深度は1,180m)の坑道は完全に塞がれている。 ガイド櫓




ここからは迷路のような地下を通り抜ける。
左右対称に「ケージ」人やトロッコを載せる1〜4階建ての箱 側(左)、「スキップ」石炭/ズリを運搬する箱側(右)と広がる。
更に進んでみよう。 地下






prayfor3104B(左)ケージ側 prayfor3104C(右)スキップ側

prayfor3104@立坑櫓、その構造と制御


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