現在棄てて顧みられない小鉱山の復活


ウイスキー工場や宇宙飛行士出身の町として有名な北海道余市町。
近隣の仁木、古平、泊にも鉱山が集中しているが、
今回は余市ダム周辺の「山道選鉱場」と湯内川上流「湯内坑」の2ブロックに
分散する本鉱山を探索してみよう。



小樽から海沿いの余市町は、
フルーツ産地としても有名で
山から海までの距離が少ない。 余市

アオダイショヴ 付近の道路には大きなヘビが・・・
よく出会うがいつもはあっという間に岩陰に消えてしまう。
これはアオダイショウのようだ。


道々゙ 余市ダム下流の山中へ。
大正5年に発見出願と資料にはあり、合資会社にすぐ買収されたようだ。


林道

林道を歩く。

7月終わりは虫も多く、藪も茂っている。

ここから片道3kmは歩く予定だ。

沈殿

林道脇に突然、足場で組んだ桶が現れた。
沈殿槽だろうか。


沈殿池

近代的な設備がある。

どうやら沈殿池と中和工場らしい。

もう少し奥まで進んでみる。

汚泥

やはり沈殿池があった。
他と比べると小規模だ。

水パイプに沿って

配管

更に林道を遡る。
羆の出そうな山中だ。

かなり登ってきたが、

法面

目立った施設は無く、植生の違う斜面があった。
本山地区は昭和6年頃から開発が進み、2鉱区/4坑口が存在したようだ。



荒地

少し進むと荒れた空き地があった。
ここはかつて大きな設備があったようだが治山されていた。

ドラム缶

奥にはドラム缶が積んである。
坑道延長は390m におよび、秋田県発盛精錬所へ送鉱との記録がある。

クワガタを見つけた。

クワガタ

ミヤマのメスのようだ。
よく見ると結構いる。


廃道

林道の奥は廃道となり、行き止まりとなった。

鉱員31名、社宅13棟とそこそこの規模があったようだ。

最奥にはため池がある。

ため池

水はほとんど無く、目立った設備も無いので
下山することとした。


林道

更に下って別の谷間に入る。
地形図では広大な荒地が描かれている。



地図どおり、大きな荒地があったが、
こちらも施設は見えない。
少し奥まで遡る。


林道を遡る。

林道

大きな荒地が広がるが、
何も設備は見えない。


ヒグマ

林道にはまたもやあいつの糞が・・・。
最近のものではなさそうだ。


余市ダム

余市ダムまでやってきた。
ロックフィルのようだ。
この下流に鉱山施設があった。


クワガタ

今度はオスのミヤマクワガタ。
この時期はよく見かける。


鉱山跡

半円型の開水路の脇を歩く。
鉱山跡の雰囲気が漂ってきた。






コンクリートの廃祉を望む。
恐らくここが旧名「元山」地区であり、昭和6年頃までは「小樽坑・函館坑・旭川坑」が存在した。


砂防ダム

浮遊選鉱の廃墟だろう。
昭和12年に完成した200t/日規模の選鉱所の建設後、当該地域は「元山」から「山道選鉱所」へその名称を変更する。


廃坑

最奥は少し開けた土地となるが治山が施され、目立った設備は見えない。
本邦有数の浮遊選鉱所の建設に至り、その能力を最大限に生かすため元山-湯内坑間7.3kmに索道も建設された。

廃坑跡


沈殿池

下流には干からびた大きな沈殿池があった。
きっと付近には坑口があったに違いない。
あきらめて下山しよう。

鉱山施設

豊浜トンネルに近い林道を走る。
廃屋が点在する・・・。

鉱山記念公園

綺麗に手を入れられた、
余市鉱山記念公園があった。




庭園のような公園。
整備は行き届いているが、あまり訪問者は無いようだ。


沈殿池

沈殿池の脇を抜けて、上流を目指す。
この奥が明治18年発見の「湯内坑」となる。


林道

林道をゆっくり歩いていると、
奥には近代的なプラントが・・・。


鉱山

プラントを覗いてみよう。


曝気ポンプ

鉱水処理の施設のようだ。


レーキ

どうやら曝気ポンプで鉱水に酸素を供給して、
流れを作り、金属を沈殿させるレーキの工程のようだ。


鉱水処理

鉱水処理施設は大きく近代的だ。


鉱水流量制御室

少し登ると道は二手に分かれて、
その左手には鉱水流量制御室なるプラントが見える。


橋梁

さらに登ると湯内川を渡る橋梁が見えた。
その右手には非常用土嚢置き場がある。


橋

橋梁を渡る。
本坑は明治45年から2年間操業後は放棄され、昭和9年から新たに稼業した。


湯内川

眼下の湯内川までは相当な高さがある。
かってはトロッコ軌道の橋梁だったかもしれない。


坑口

橋梁を渡り終えると坑口が現れた。
木の支保工に囲まれた小さな坑口だ。


廃坑

少し潜ってみよう。暗く、冷気が一気に来る。
湯内坑での採掘後、山道選鉱所での選鉱という一連の流れは、秋田県への鉱石輸送による「合併精錬」に終止符を打つこととなる。


廃坑跡

木の扉で塞がれている。レイルは見えない。
住民800名、就学児童68名、鉱員100名の大規模鉱山となり、その精錬は必然的に国富鉱山で施工することとなった。


支保坑跡

木の支保工がどこまでも続く。左手には溝が中途な位置にある。
合資会社による元山地区中心の余市鉱山買収劇は「現在棄てて顧みられない小鉱山の復活」と称された。


採光

坑口跡から外部を見ると、明るく目が霞む。
合資資本は後志管内の廃止鉱山を買収復活させ、同一資本による経営一体化により、
コストダウンと生産力向上を図ろうとし、当時の北海道鉱山熱は一時的に煽られる結果となった。




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