鉱水処理の向かうところ


伊達市喜門別町、ここの川の名前は「気門別川」
漢字は違うが読み方は同じ「きもんべつ」。
明治3年(1870年)に、仙台藩一門亘理伊達家領主の伊達邦成とその家臣たちが
集団で移住して開拓したという、
北海道でも由緒ある歴史を持つ街だ。



昭和新山を望みながら、山へ向かう。
ここからでも噴煙が見える。
昭和新山

牧歌゙ 付近に牧場は少なく、
畑や水田が多い。
どんどん山へ向かう。


道々゙ 気門別川を遡ると、道々は急にグラベルとなる
更に遡る。


坑廃水処理

やがて斜面の上に近代的な施設が現れる。

大きなプラントだ。

地形図上では大きな長方形の池が2つ見える。

坑水

はたしてここは鉱水処理施設であった。
「伊達鉱山 坑廃水処理場」と看板が掲げてある。


北鉱建設

機械音が聞こえ、内部は管理されている。

事務所の方に断りを入れ、内部を見せていただく事となった。

本来は立ち入り禁止だが、同行し施設の説明までしていただいた。

酸性

強酸性の鉱水をプールする。
水は赤い。

更に下流では

石灰

石灰と混合し、中和させる。
常時攪拌されている。

伊達市が年度ごとに発注するこの工事は、

鉱水処理

坑廃水処理の中和、脱水、施設整備がメイン業務だ。
沈殿池の上流からプラント全体を見渡す。



プラント

施設は大きく劣化していない。
整備は十分に行き届いている。

沈殿池

地形図に載る沈殿池を望む。
ph測定や水質検査も行われているようだ。

鉱員詰め所らしき建物を望む。

鉱員社宅

施設は非常に近代的だ。
少し下ってみる。


ポンプ

川沿いにはポンプ室らしき設備が。

機械音が聞こえる。

機材倉庫。

機材倉庫

稼働中の設備でも、
こうやってのんびり見学するのも楽しい。


中和施設

担当の方に十分にお礼を伝えて、
更に上流を目指す。



静かな山中だ。
いくつかの砂防ダムを過ぎて、
林道を更に遡る。


林道脇には

貯水槽

不思議な設備が点在する。
稼動している設備ではなさそうだ。


コンクリート

貯水槽のような丸いコンクリート設備。
恐らく硫酸水による環境鉱害の対策設備で数箇所にある。


伊達鉱山

工事名 伊達鉱山運搬路新設工事
白い林道標柱が倒れている。
最近工事が施工されたことと、本道で間違いないことがわかる。


石碑

林道脇の土手上に石碑を見つけた。
少し藪は刈られ、たまには人が訪れているようだ。
「伊達鉱山 開業功労者 田所 篤三朗」との文字が・・・。


ドンツキ

林道のドンツキにはコンクリートの不思議な設備がある。
鉱山に関連した施設だろうか。






施設への仮設階段を登り、
更に奥へ突入する。


鉱山跡

川沿いの護岸と廃水パイプが見える。
いよいよ、奥に何かありそう。


廃坑

最奥で再び右岸に渡る。
木の蓋の付いた穴が見える。

廃坑最奥


鉱水

付近の沢の河床は赤く、
いかにも鉱水であるかのようだ。、
この沢を遡ってみよう。、
坑口があるかもしれない。

沢登り

水没しながら、急坂を登る。
しかしやがて道は崖となった・・・。

鉱山跡

少し下ったわき道に、
コンクリートの施設が見えた。




浄化槽のようなコンクリート施設。
汚れた水を蓄える。


ホッパー

更に上流には積み出し施設と思われる遺構が。
藪に埋もれている。


坑口

奥の斜面にはなんと坑口が出現!
木のポータルが・・・。


坑道

少しその坑道を覗いてみよう。


坑

小さいが雰囲気十分の坑口だ。


坑道

支保坑も坑道も、おそらく当時のまま。
冷たい風が通る。


坑道

坑道を少し覗いた後、
夏のアタックとしては完了とした。




そして、3年越し冬明けの再アタック。
目指すは通洞坑下の大道坑。
積雪の中を進む。 坑口


鉱山跡地を歩くさなか、
谷向こうにエゾクロテンが迎えてくれる。
オスの求愛行動は急所である喉をメスに見せることだそうだ。 エゾクロテン


森の中に忽然と現れた貯水槽のような廃墟。
これは坑道からの廃水を枠に入れ、その中に古鉄を投入し、
雨水と反応した硫化鉱に発生した熱源で、溶解した銅鉱床の成分を鉄に付着させる工程だ。 貯水槽


つまりこの貯水槽の上部に坑道が存在したはず。
雪崩を警戒しつつ、登攀した先には、
赤い沢に続く坑口らしき部分。 坑口


そして接近したのは小さな坑道跡。
昭和48年の鴻之舞鉱山閉山後は、連鎖的に国富精錬所が廃止され、
段階的に伊達鉱山の鉱石は塩釜精錬所(宮城県)への鉱送となり、それが経営を取巻く情勢悪化に拍車を掛けることとなる。 大道坑


苦労の末、到達した大道坑は深く水没していた。
本坑は気候が温暖で積雪も少なく、坑内作業条件もよく無事故を誇ったが、
昭和6年以降、42年間にわたって創業した後閉山を迎える。 大道坑



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