北見金山跡  探検: 北の細道 北見金山

北見金山で煉瓦の坑口を発見する



北海道中頓別町

   1896年(明治29年)カナダとアラスカの国境近く、北緯63度ユーコン川支流のクロンダイク流域で、
砂金脈の探鉱をしていた3名は水底に輝く膨大な砂金を発見する。

翌年、世界中から約3万人の採掘者がこの地方に集結した。
これが「ゴールドラッシュ」の幕開けである。

同時期に頓別地方で砂金が発見され、全国から砂金を求めて人が殺到し、
折しも本地方が「東洋のクロンダイク」と呼ばれるに至る。


当時付近の河川には密猟者のテントが隙間なく張り巡らされ、
7、8千人の集落が相次いで現れ、そのゴールドラッシュ熱はさらに過熱する。
そして明治33年には重さ763gの日本一の金塊が発見される事となったが、
その後乱獲の末、ゴールドラッシュにも陰りが見え始め、
その過熱ぶりも、やがて終焉を迎えることとなる。

北見金山は丸瀬布の 伊奈牛鉱山(北見鉱山) と同名であるが、
中頓別鍾乳洞北東1.5qに存在した全く別の鉱山である。

砂金時代を経て、明治44年(1911)に鉱区出願され、
僻地による立地条件の悪さがあったにもかかわらず、
大正3年から操業開始したものの、わずか1年余りで鉱脈が途切れ、
大正5年11月には閉山に追い込まれる。

その後、昭和8年(1933)には再び有望な鉱脈が発見され、
従業員300名以上が従事する、一台鉱山街となった。

しかしながら大正期のデジャブのように、昭和14年8月、
突然鉱脈が途切れ、そのまま閉山と相成る。

アクセスの困難さは特筆もので、
大正12年の地形図から起こした資料を基に、
痕跡の有無を探してみよう。








煉瓦・茶碗・坑口・・・



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