清流 クワウンナイ川
北海道の最高峰、旭岳(2291m)の麓に位置する美瑛町は、
なだらかな周氷河地形による波状丘陵が続き、
東京23区と同等の面積を有する自然豊かな街だ。
柱状節理の続く忠別川から別れたクワウンナイ川の右岸を歩く。
鉱山道路が砂防ダムの建設道として再利用されていたようだが、
現在は廃道でトムラウシを目指すアルピニストの踏み分け道のみが続く。
途中には古びたガードレールが残り、
入渓注意を啓発する看板がある。
入山届や沢登りの技術を有すること等が記載されている。
河原に降りるとそこはポンクワウンナイ川との出合。
このまま南の本流を遡る。
いよいよ入渓だが、広い河原に鉱山跡の痕跡は全く無い。
クワウンナイ川の水量は深いところで腿まで水没する。
9月中旬は入渓にベストな時期かもしれない。
大方は膝下で渡渉する。
流紋岩と安山岩が胚胎する左岸。
右岸には辛うじて鉱山道路らしき道床の痕跡が残存するが、
河床を歩く方が遥かに容易い。
出合いからおよそ300mでかつての鉱山事務所跡だ。
右岸の平場が辛うじて残るが、
その痕跡は何もない。
大きく蛇行するクワウンナイ川を巻くと、
旭鉱床付近だ。
斜面を少し探索してみよう。
右岸は激藪で斜度は30度程度もありそうだ。
標高で20m程度登り、下流を探索したが、
坑口らしき跡は発見できなかった。
足元は岩が大きくなり、
少し川幅も狭くなってきた。
もう少しで目当ての稲荷鉱床だ。
そして現れた稲荷鉱床一番坑。
河床から5mほどの高さに、
鉱水を流す洞窟のような穴だ。
「一番坑」は鉱石をどうやって運び出したのか、
際どい斜面にぽっかりと坑口が開く。
夥しい泥の鉱水が流れている。
坑口に向けて少し上流の岩場を登攀する。
懸垂のように木の根を手掛かりに登る。
坑口までもう少しだ。
稲荷一番坑の坑口に到達した。
近づくと思いのほか坑口は狭く、
赤い泥の坑道だ。
それでは装備を固めて入坑してみよう。
入坑を躊躇うほどの狭さと泥の海だ。
臭いもなく空気は澄んでいる。
足元に注意しながら進む。
泥は深く脛まで埋没する。
しかし奥に行くに従って、
泥は少なくなる。
荒れた赤い坑道を進む。
入坑30m付近で坑内分岐があった。
更に進む。
本坑は右に進む二股。
左はすぐに掘削を中止したようだ。
奥では埋没の痕跡が見える。
痩せた坑木が落下し、
坑道は傾いているようだ。
黒い鉱水を流す横壁。
すこし反射し、しかし油脂ではないようだ。
45mほど内部の最奥は右上部から大きく崩れている。
左には狭く続いている。
潜り抜けてみよう。
支保工が辛うじて残り、
鉱水が流れ出る。
埋没が著しく、これ以上は体が入らない。
右手の崩れた穴に登る。
上下左右がすべて粘土層で、
3m程度で進めなくなる。
再び泥の海を歩き坑口付近に戻る。
外の木々を映しこむ坑口を出て、
更に上部の2番坑を目指す。
ここからは一旦河床に戻り、再び東の下流方向に斜面を直上する。
もちろん道は無く、
手探りにできる太い木々も少ない。
一番坑から20m上部。
ザイルを駆使し3点支持で何とか登攀する。
クワウンナイ川はいつの間にか遥か下方だ。
そして到達した稲荷鉱床 二番坑だ。
足元は竦む高さの斜面で、
こちらの坑口は乾燥し、泥は無い。
夥しい羽虫の多い坑口に入坑する。
断面は一番坑より小さく、
しかし続いているようだ。
こちらの坑道内に泥は無く崩れた岩石に覆われている。
乾燥している坑道は経験上、荒れが激しい。
更に奥を目指す。
意味のない細い支保工らしき木材や
鉱水の垂れる天井を超えて奥へ進む。
こちらは一番坑に比較して遺構が多そうだ。
荒れた坑道を進むと、
木製の何かが坑内面に立てかけてあった。
これはあまり見たことのない遺構だ。
これはどうやら鉱石を2名で運搬する畚(もっこ)のようなものらしい。
木製とは珍しい。
更に奥を探索する。
色々な鉱物を含む鉱石。
キラキラと輝く部分もある。
更に乾いた坑道を進む。
かれこれ50mは進んでいるはず。
ふと見た坑内面に・・・!
岩盤に描かれた謎の文字が。
「二十年十二月○○マで」
良く読めない。
更に文字はあちこちに点々と描かれている。
「大風」
更に解らない。
これは更に読めない。
「出春口男」?
これも実際は違うだろう。
謎の文字は続く。
「大召院」?
かつての洞爺鉱山でも板切れに書かれた「古材待 行事一切断」という文字を発見したが。
数十m進み埋没地点に遭遇した。
これ以上は進めない。
更に上流の西山鉱床は発見に至らなかったが、
程よい疑問が残る探索であった。
発見した文字群には深い深い意味があるのかもしれない。
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