上ノ国から4時間の鉱山




早川周辺から石崎方面を望む。
閉山直前の昭和35年の周辺世帯数は105、人口525名だったのに対し、
10年後にはそれぞれ14/37名となり、今となっては無人の原野だ。 早川

まずは鉱山入り口付近の「指差喚呼」の看板の掲げられた木造建屋を調査する。
ここは上国鉱山の領域である。
内部を詳しく見てみよう。 電気室

入るや否や古い机の上にヘルメットと作業帽がある。
保存状態は非常に良い。
昭和61年4月閉山から時が停止している。 滝


火薬取扱の資料が散乱している。
本坑では保安に努力が注がれ、100万人当たり災害率は24〜71と低かった。
坑道下部では44℃の温泉が噴出し、切羽の地域的環境に対して通気等の保安対策も講じられていた。 火薬取扱


「上国鉱山敷地内地質調査」と書かれた木製の箱がある。
恐らくボーリング等の試掘片のストックのようだ。
鉱床は25か所に及んだため、その調査範囲も相当だったようだ。 地質調査


奥には大きな配電盤がある。
これは変電設備で、機器類の制御や監視を行っていたようだ。
これはかなりの遺構だ。 配電盤


これはコンデンサー引出電源装置。
CTDと呼ばれるもので、交流入力電圧を整流し 「コンデンサー」電気を蓄えたり放出したりする。直流を通さず絶縁、ノイズ除去、信号検出等を行う電子部品 に放電して、その際のエネルギーを利用して、
真空遮断器などの引き出しを行う。 コンデンサー引出


Aは電力量計。
Bは保護継電器(ほごけいでんき)。
これは電流や電圧の急激な変化から電気回路を保護するための「保護リレー」と呼ばれる装置。 保護継電器


制御盤の裏面は開放型の電気室となっている。
これが箱の中に入れば 「キュービクル型」扉付きの小部屋に機器が収納された受電設備 の高圧受電配電盤となる。
開放型は点検、増設が容易であるが、充電部が露出して危険、現地組立の工数増、塩害等の影響も受けやすい。 開放型電気室


黒いレバーはOCB(Oil Circuit Breaker)と呼ばれる油入遮断機。
気中遮断機では短絡(ショート)の事故が発生しやすく、接点間にアーク(火花)が飛んで危険。
絶縁油中で電流の開閉を行う遮断機である。今日ではVCB(真空遮断器)が主流。 油入遮断機


別部屋の黒板には資材とその価格の一覧がある。
ベアリング#6302が¥264。現在¥300〜600。あまり変わらないような気がする。
VCTやVVFは電源ケーブル。ゲートバルブ3/8が¥605。現在でも¥800程度か。 黒板


古いナイフスイッチのある制御盤だ。
これは本建屋のものらしい。
メタルコンセントや何か三相の機器を取り外した跡もある。 配電盤


部屋の天井付近には「初雪記録表」がある。
昭和25年から在り、大体が10月後半から11月中旬、根雪の記録もある。
昭和60年11月2日で停止しているのが物悲しい。 初雪記録表


昭和58年の安全標語が掲げてある。
「小さく生まれた 無事故の芽 大きく育て自主保安」
「危険作業 声かけあって 手順よく」。 標語


上国鉱山の領域から小砂子川を上流へ進む。
石垣のアバット(橋台)が続くのがかつての鉱山道路であろう。
当時は上ノ国から石崎までバス、そこから上国鉱山まではトラック便乗であった。 アバット


この先は廃道状態だ。まだ鉱山跡まで1km程度はある。
本地区の海抜は100〜500m、鉱床は300〜400m付近に胚胎している。
中央を流れる小砂子川がその支流を集めて北流している。 完全廃道



沈殿池か水路に係わるRC製の遺構がある。
これはもはや今井石崎鉱山の痕跡であろう。
更に遡る。 沈殿池



藪の中に鋼製のイケールがある。
等辺山形鋼と平鋼で組まれた架台のような形状だ。
いよいよ鉱山跡だが・・・。 鋼製



斜面を少し登ると電柱のような木製の遺構がある。
だが電柱にしては堅牢な造りだ。
もしや索道の支柱ではないだろうか。 電柱



電柱に見えた木製部材は明らかに架空索道の支柱であった。
H鋼製の架台にフランジの付いた部材が強固にボルト止めしてある。
ここに搬器があった証だ。 索道



他にもプーリーような部材がある。
若竹坑・大成坑・万代坑・興亜坑・西二号坑などの坑道があったようだ。
万代坑と興亜坑に関しては延長230mとかなりの深さだ。 プーリー



かなりの斜面を登攀すると平場が現れた。
しかもIビームで組まれた鳥居のような架台がある。
これは一体なんだ。 Iビーム



鳥居は続く。
おそらくかつてはスレート拭き等でトンネルになっていたのではないか。
この奥に存在するものは・・・。 鳥居



煉瓦製遺構だ。しかも大きい。
この位置、この重厚さ、これは紛れもなく火薬庫の遺構だ。
資料に載らない謎の廃祉だ。 火薬庫



地面と同レベルでは火薬庫の全貌が掴めないため、
土手の上に登ってみる。
非常に堅牢な造りの建物だが、その横には・・・。 煉瓦



崩れた木製の部材にスレート(波トタン)が拭いてある。
煉瓦遺構に向かうトンネル跡とは別ルートだ。
その先を追ってみる。 スレート



そこは再び煉瓦遺構と同様のトンネル廃墟であった。
スレートは既に無く、ルートが露出しているので、
下部に下り、その奥を調査する。 トンネル



その突き当りには扉があり、
ブロック製のまたまた重厚な建屋が出現した。
これもおそらく火薬庫か火工所であろう。 火薬庫



全貌を確認するために防爆のための人口土留めに登攀してみる。
ブロック製建屋は2.5m以上の高さがあり、
中が小部屋で仕切られていた痕跡もある。 火工所



辛うじてスレートの残存する通路跡。
上国鉱山から2kmのうち一部は鉱山専用馬車軌道を経由し、
最後は小砂子川沿いの小路を徒歩で遡り、上ノ国の市街地からは4時間余を要したという。 隧道


今回電気設備の監修については某電気工事士の助言をいただきました。
この場を借りてお礼申し上げます。





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