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桃花祭車楽

真清田神社(一宮市)の「桃花祭」については、当HPに掲載していますが、氏子町内の馬の塔(駄志馬)の参加が減少の一途で、今年は、飾り馬五頭と飾り馬具搭載車両三台でした。
平日という事が大きな理由ですが、これは真清田神社が伝統を尊重され変えない方針である限り止む無い状態で、現代のサラリーマン社会では良い思案も浮かびません。
これはこれとして、五年程前に、空襲を免れ蔵に保管されていた「車楽」の「西車」が五十五年振りに復元されました。
毎年、少しずつ飾り調度などを整え、外観は大体整ったので、かっての行事(扇獅子・稚児・お囃子)の復活という事になりますが、何しろ昭和十九年(1944)以来六十三年を経過し、世代を大きく経過し体験者が皆無との事です。
既に書いていますが「東西祭車」には支中があり「東車」百二十八戸、「西車」六十五戸の方が携わっています。
私は、何れにも関わりはありませんが、所属町内の殿町一丁目が、祭りの殿り役、「押さえ馬」と「若殿行列奴踊り」という特別役になっていて、如何なる事情があろうとも、「押さえ馬」だけは納めなければ祭り終了の太鼓が鳴らないという義務があります。
これも、既に記載しましたが「若殿行列奴・踊り」は、平成四・五年(1992・3)に五十年振りに復活しました。残念ながら再び中断し、平成五年、六年の二回、若殿・子供奴・露払いの四人だけで行いましたがそれも中断、現在は年行司と子供によって「押さえ馬」の奉納をしています。
「奴踊り復活」には、昭和十九年当時、十八才の時の経験者、永井さんが五十年前の体験を披露、文字通り手取り足取りで指導、復活が実現しました。まさに消滅寸前に再現、稽古から本番までビデオ撮影、最近DVD三枚に保存しました。いずれ再開の機会があれば活用されると思います。
さて、「西車支中」には、かねてから知人があり、二年前に「西車組み上げ」をビデオ撮影させて頂きました。
尾張各地での「山車組み上げ」は「空木建」といい、町内衆総掛かりで行われますが「西車」は建築業の方に依頼されます。朝から三時頃まで重機も使って行います。飾り付けは四月一日に支中の方がされます。
今年は飾り付けを拝見し、中心になっておられる方に所有の資料をお見せして色々訊ねました。
結局、今後は「車楽」で行われていた、かっての所作事をどう復活させるかという事ですが、現在そういう行事が行われている祭礼を検索するという事になり、春日井の内津の「内々神社」の、扇獅子・稚児行事が如何なるものかを知る手段という事で、三日の本祭に、もしかしたら「郷土誌かすがい」に、そのレポートを書かれた民俗芸能研究家の鬼頭秀明さんが来られたら話が聞けるかもしれないと期待をしました。


尾張年中行事絵抄 馬之頭 車楽 稚児
車楽(拡大)扇獅子・稚児 東西車楽 右が東
東車 夜 正面 左側
西車 左側 向こうは東車

鬼頭さんが、四月三日、本祭に来られ、話を伺う事が出来ました。
それによると、昨年、昭和五十八年に復活していたものが、その後二十年振り位になりますが「内々神社祭礼」に行かれた所、稚児は乗っていたが扇獅子は居なかったそうです。お囃子は有ったが「扇獅子は又も中断では・・」との事です。「御嵩」や「内々神社」は、それぞれ流れは違うように思う」と言われました。
支中の方にはとにかく「桃花祭車楽」の楽譜の発見をして頂き、それから次の手掛かりへと、お願いしました。ここまでは神社境内の行事です。
各氏子町内の「飾り馬」の多数参加という大きな課題があります。

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希少な例として「蟹薬師祭礼」の車楽をご覧下さい。

那古野神社天王祭「片端壇尻車」・一宮真清田神社桃花祭「車楽」
この二つの朝祭り行事には多くの共通点が見られます。
那古野祭の絵図、「張州雑志草稿」と「名古屋名所団扇絵」に見られる、壇尻の稚児、扇獅子、樂囃子の様子と、一宮桃花祭を描く「尾張年中行事絵抄」の、車楽の、稚児、扇獅子、樂囃子の様子が酷似します。
春日井の内々神社「御舞台」にも、稚児、扇獅子、樂囃子が伝わりますが、一旦消滅し復活しましたが、現在は再び、扇獅子が消滅していると聞きます。
岐阜県御嵩町の「蟹薬師祭礼」に、「車楽」が出ますが「扇獅子」はありません。
一宮桃花祭車楽は、この所、随時、幕や飾りなどが新調修理され外観は大体整いました。
次の課題は、中段で行われていた行事の復活になりますが、六十年以上の空白は経験者が、現存されず、楽譜などの資料も有りません。どこかの地で、同じような行事があれば習得の上復活は可能ですが、それも上記の通りで曖昧です。
そこで、願わくば、那古野神社の「片端壇尻車(茶屋町)」一輌が、現在は、宵祭のみ行われていますが、朝祭りが復活されれば、桃花祭車楽にも行事復活の可能性が大きくなります。
那古野天王祭りの「車楽」については「名古屋祭(伊勢門水)」に記述があります。
お囃子の曲名や所作事の詳細は不明ですが那古野神社に資料が存在するか一度尋ねて見たいと思います。
近い機会に実現するのは難しいでしょうが、後進に伝達はしておきたいと思います。 H19.6.28

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