何となく不安な心せかれる日々が続いたが、白河の関にかかる頃になってようやく旅の中に浸りきる落ち着いた気分になった。(平兼盛は)「いかで都へ」と、(この関を越えた感動を)都に伝えたいものだ、という意味の歌を残しているが、なるほどもっともだと思う。特にこの白河の関は東国三関の一つで、昔から詩歌を好む風流人の心をとらえてきた。(あの能因法師詠んだ)秋風の音を耳朶にとどめ、また頼政の詠じた紅葉の景を思い浮かべつつ、(今眼前の)青葉のこずえを仰げば、いっそう感銘深いものに思えるのだった。(あの古歌に詠まれの同じ)真っ白い卯の花が咲いているところに、さらに茨の白い花が咲き混じっており、まるで古歌にある雪景色の中を越えて行くような気がする。陸奥守竹田大夫国行が白河の関を越えるのに、かの能因法師の歌に敬意を表して冠と衣装を改めて越えたという話を、藤原清輔が書き残しているほどだ。
卯の花を… かつてこの白河の関を通る時、陸奥守竹田大夫国行は能因法師の歌に敬意を表して 衣装を着替えたという。私たちはそこまではできないがせめて卯の花を頭上にかざして、敬意をあらわそう。 曾良
藤原氏三代の栄華もひと眠りの間に見た夢のようにはかなく消えて、その館の大門の跡は一里ほど手前に残っている。秀衡の館の跡は田や野原となってしまい、金鶏山だけが昔の形を残している。まず高館に登ると、北上川(が眺められるが、これ)は南部地方から流れてくる大河である。衣川は和泉が城を巡って流れ、この高館の下で北上川に流れ込んでいる。泰衡たちの旧跡は(ここ高館から見ると)衣が関を間にはさんで南部地方からの入り口を堅く守り、夷の侵入を防いだものと思われる。それにしても、(義経は)忠義な家来をえりすぐってこの高館にたてこもり、(勇ましく戦って功名を立てたが、)その功名も一時の間に消え(、今、)その跡はただ草むらと化している。「国破れて山河あり、城春にして草青みたり。」と(口ずさみ)、笠を敷いて(腰を下ろし)、時のたつのも忘れて(懐旧の)涙を流したことであった。
夏草や…(高館に来てみれば、今はただ、茫々と夏草が覆い覆いだけである。ここは義経以下の勇士たちが最後の一戦で奮闘したものの、その〈つわもの〉兵たちの功名やその夢も結局はかなくついえさった跡なのだ。)
卯の花に…折りしも白く咲き乱れる卯の花を眺めていると、義経最期のの際、白髪を振り乱して勇ましく戦ったという老臣兼房の姿が彷彿〈ほうふつ〉として、哀れをもよおすことだ。 曾良
かねて話に聞いて驚いていた中尊寺の二堂が開帳されている。経堂には藤原氏三代の将軍の像が残っており、光堂には三代の将軍の棺を納め、阿弥陀三尊を安置している。(この堂を美しく飾っていた)七宝は散り失せ、珠玉を飾った扉は風のために破れ、金色の柱は霜や雪のために朽ちて、もう少しで崩れ果てて何もない草むらとなってしまうはずだったのに、堂の四面を新たに囲み、(上から)屋根(瓦)を覆って風雨を防いで、しばらく(の間)は遠い昔をしのぶ記念物となっているのである。
五月雨の…すべてを朽ち果てさせる五月雨も、ここばかりは降り残したのであろうか、雨の中、光堂は今もなお金色の光を放っている。
山形領内に立石寺という山寺がある。慈覚大師が開基された寺であって、特に清らかでもの静かな感じがする所である。ぜひ一度は見ておいたほうがよいと、人々が勧めるので、尾花沢から引き返したのだが、その間は七里ばかり(の道のり)である。(着いた時は、)日はまだ暮れていなかった。麓の宿坊に宿をとっておいて、山上の堂に登った。(ここは)岩に岩が重なり合って山となり、松や檜などが年を経て生い茂り、土や石も古びて苔が滑らかに生え、岩上の堂はいずれも扉を閉じて、物音も聞こえない。崖ふちを回り、岩の上を|うようにして、仏堂に参拝したが、辺りの美しい景色はひっそりと静まりかえってひたすら心が澄みとおっていくのが感じられた。
閑かさや…なんと静かなことか。この静寂の中で蝉の鳴き声がするが、それもあたりの岩の中に染みとおっていくかのように感じられる。…あたりの静寂はいっそう深まり、私の心も閑寂の世界に染み入っていくかのようだ。
最上川は陸奥(みちのく)に源を発し、山形領を川上としている。碁点・隼などという恐ろしい難所もある。(歌枕でよく知られている)板敷山の北を流れて、しまいには酒田の海に注ぐ。左右には山が覆いかぶさるように迫り、樹木の茂みの中に漕ぎ出した。この舟に稲を積んだのを、古歌に稲舟(いなぶね)というのであるらしい。白糸の滝は青葉の間間に落ち、仙人堂は川岸に望んで立っている。水は満々とみなぎり流れて、舟は今にもくつがえりかえりそうだ。
五月雨を…この日ごろ陸奥・山形の山野に降り注ぐ五月雨を集めて水かさを増し、勢いいよいよ急に流れ下っていく。何と豪壮な最上の急流よ。
露通もこの(敦賀の)港まで出迎えに来ていて、美濃国へと連れ立っていく。馬(の背)に助けられて大垣の庄に入ると、曾良も伊勢から来合わせ、越人も馬を飛ばせて(馳せ参じ)、如行の家に集まった。前川子、荊口父子(をはじめ)、そのほか親しい人々が昼も夜も訪ねてきて、(私の姿を見ると)あの世から生き返った者に会うように、(無事を)喜んだり(身を)いたわったりしてくれる。旅の(疲れから来る)重い気分もまだ抜けきらないのに、陰暦九月六日になったので、伊勢神宮の遷座祭を拝もうと、また舟に乗って、
蛤の…離れがたい蛤の蓋と身が別れるように、尽きぬ名残を惜しみつつ、人々と別れて、今や二見ケ浦へとまた新しい旅に出立する時が来た。折から秋もまさに逝こうとして、周囲の風物は一段と惜別の情をかきたてているかのようだ。
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