いろいろな道

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名のある通りの所縁

高田屋ゆかりの地

高田屋顕彰館
兵庫県洲本市五色町都志1087

「辰悦丸」1/2スケールの模型や大画面スクリーン、高田屋の経営文書やアイヌなどの北方資料、日露外交文書等がある。
高田屋嘉兵衛公園
兵庫県洲本市五色町都志1087

高田屋嘉兵衛(たかたやかへえ)を顕彰して、永く後世の人々に語り継ぐために造られた公園。
日露友好の像
兵庫県洲本市五色町都志1087

高田屋嘉兵衛翁とゴローニン提督
高田屋嘉兵衛翁埋葬墓地
兵庫県洲本市五色町都志1087

弟金兵衛とともに埋葬されている。
 
嘉兵衛翁記念碑
兵庫県洲本市五色町都志1087
日本の誇る高田屋嘉兵衛翁此の地に眠る。
高田屋嘉兵衛記念館
兵庫県洲本市五色町都志241

旧邸宅跡の東側に建設された高田屋嘉兵衛翁記念館は現在閉館している。
贈正五位高田君碑
兵庫県洲本市五色町都志241

明治39年11月建設

高田屋翁像
兵庫県洲本市五色町都志241
石像
高田屋嘉兵衛屋敷跡公園
兵庫県洲本市五色町都志241

高田屋嘉兵衛は五色町都志の出身で、屋敷跡が高田屋嘉兵衛屋敷跡公園として整備されている。
高田屋嘉兵衛旧居跡
兵庫県洲本市五色町都志241

嘉兵衛翁が産声を上げたころの家は小さく、後に文化年間(1804~1816)に大規模なものに改められた。
高田屋嘉兵衛翁生誕地碑
兵庫県洲本市五色町都志241

屋敷跡の駐車場脇に立つ
高田屋嘉兵衛像
北海道函館市宝来町9

エトロフ航路の開発や北方漁場の経営、江戸幕府の代理人としてロシアとの交渉に当たったことでも知られる、江戸時代の豪商「高田屋嘉兵衛」の銅像。護国神社坂に建つ。
高田屋の松
北海道函館市青柳町17

本州より移植し高田屋屋敷の庭園をかざっていたとされるクロマツで、明治11年から函館公園の入り口に植えられている。
高田屋恵比寿神社
北海道函館市末広町23-2

旧恵比寿町(昭和40年まで存続)の由来にもなり、高田屋の守護神として本宅に安置されていた恵比寿様。
高田屋嘉兵衛造船所跡
北海道函館市末広町13-22

1804(文化元)年 幕府は港の改良のために 大規模な埋め立て工事を行った。この時 高田屋嘉兵衛は幕府の埋立地の隣に自らも埋め立て工事を行い,ここに蝦夷地で最初の造船所を設立した。
箱館高田屋嘉兵衛資料館
北海道函館市末広町13-22

明治36年(1903)に建てられた石造りの1号館と大正12年(1923)に建てられた鉄筋コンクリート造りの2号館の2棟からなる、
日露友好の碑
北海道函館市宝来町9

1999年、ロシアよりゴローニン、リコルドの子孫が来日され、高田屋嘉兵衛七代目を交え事件から186年後の子孫を通じての再会をこの地にて果たしました。ここに3人の深い友情と邂逅を記念し、21世紀を前に国際親善を深く願い、日露友好の永遠のシンボルとしてこの碑を建立した。
旧高田屋通り  銀座通り
北海道函館市末広町~宝来町

函館銀座通りは高田屋通り、恵比須町通りの名もある。十字街の東隣りの位置で、カフェーなどの並ぶ歓楽街であった。

名のある通り

十字街高田屋通り 末広町高田屋通り
北海道函館市末広町

高田屋通り 北海道函館市宝来町

高田屋嘉兵衛通り 北海道函館市末広町

高田屋嘉兵衛ゆかりのみち
兵庫県兵庫県洲本市

旧高田屋通り 函館市末広町~宝来町

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