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渡辺崋山生誕地
東京都千代田区隼町4-2
寛政5年(1793)三河田原藩上屋敷邸内に生まれ、大部分をここで過ごした。
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渡辺崋山先生御墓所
愛知県田原市田原町稗田50
城宝寺 山門を入って左手には、 境内には幕末の先覚者で、画家としても有名な渡辺華山と一族の墓所がある。
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崋山神社
愛知県田原市田原町巴江12-1
祭神は、江戸時代後期の田原藩家老であり、文人・画家・蘭学者としても活躍した渡辺崋山。社殿は、田原城出丸跡に建てられている。
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渡辺崋山先生八勿の訓戒 碑
愛知県田原市田原町巴江12-1
日本で唯一の交渉事の訓
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渡辺崋山石碑
愛知県田原市田原町巴江12-1
崋山肖像レリーフ
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崋山会館 愛知県田原市田原町巴江12-1
崋山神社境内 地域文化の振興を図るため設置されている。
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渡辺崋山 池ノ原幽居跡
愛知県田原市田原町中小路
池ノ原公園 天保11年(1840)著作、慎機論において外国船打ち払いの無法を論じ、幕府より国政批判の罪を受け在所田原藩に蟄居を命ぜられた。
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崋山先生玉砕之趾 碑
愛知県田原市田原町中小路
伯爵東郷平八郎書 池ノ原公園
写真左側の石碑
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不忠不孝渡邊登の碑
愛知県田原市田原町中小路
崋山先生玉砕之趾碑の右側。
藩主に災いの及ぶ事をおそれた崋山は死を決意した。「不忠不孝渡邉登」と大書し、長男立へ「餓死るとも二君に仕ふべからず」と遺書して切腹し、49年の多彩な生涯を終えた。
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渡辺崋山像
愛知県田原市田原町中小路
池ノ原公園
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渡辺崋山滞留の地碑
神奈川県厚木市厚木町
「天保2(1831)年9月22日より24日に至る」、「旅籠萬年屋古郡平兵衛の屋敷」。
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渡辺崋山来遊記念碑
神奈川県厚木市厚木町
天保2年(1831)9月、矢倉沢往還を通って厚木を訪れた渡辺崋山は「厚木六勝」図を残している。厚木村渡船場跡。
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お銀様の墓
神奈川県綾瀬市小園
江戸の田原藩下屋敷に奉公に出て藩主三宅康友の寵を受け、友信を生みましたが母の急死で帰郷し、その後小園村の大川家に嫁いだ。渡辺崋山が少年期に世話になった.。
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渡辺崋山とまんじゅうや
神奈川県大和市
渡辺崋山の遊相日記に 【角屋伊兵衛、俗にまんちうやという家に宿す】 とある。
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名のある通り |
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渡辺崋山ゆかりの道 神奈川県綾瀬市小園 |

「花鳥風月」崋山の世界を訪ねるみち
愛知県田原市 |