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伊能ゆかりの地


伊能忠敬像
千葉県香取市佐原イ1020
佐原公園(諏訪公園) 大正8年に建立された伊能忠敬の銅像 
測量器具「彎か羅針」の目盛を読む姿をかたどった忠敬の銅像が立っている
伊能忠敬銅像
千葉県香取市

佐原駅前広場
 
伊能忠敬測地遺功表
東京都港区芝公園内

伊能忠敬の功績を後世まで伝えようと東京地学協会によって昭和40年5月建立されたものである。
伊能忠敬銅像
東京都江東区富岡1-20-3

富岡八幡宮に平成13年(2001年)10月吉日、伊能測量200年を記念して建立。
伊能忠敬隠宅跡
東京都江東区門前仲町1丁目18-3先

寛政6年(1794年)満49歳で家督を長男景敬にゆずり隠居して名を勘解由と改めた忠敬は、翌年江戸へ出て深川黒江町に隠宅を定めた。
浅草天文台跡
東京都台東区浅草橋三丁目19~26付近

浅草天文台は当時江戸にあった幕府の公設天文台の一つであり、司天台、また暦の作成・頒布を行っていたので暦局、頒暦御用役所、頒暦屋敷などとも称された。
地図御用所跡
東京都中央区日本橋茅場町2-12付近

忠敬は第8次測量から帰ると隠宅を黒江町から八丁堀亀島町に移し、ここを地図御用所として最終図の制作にとりかかったが、完成をみることなく文政元年(1818年)4月13日没した。
伊能忠敬墓
東京都台東区東上野6丁目

忠敬は文政元年(1818年)4月13日に江戸八丁堀で死去したが、地図が未完成であったため喪は伏せられ、地図が完成した文政4年9月4日になって公表された。享年74歳。遺骸はその遺志に従って浅草の源空寺にある師・高橋至時の墓の隣に葬られた。
伊能忠敬旧宅
千葉県香取市佐原イ1900番地

三治郎は宝暦12年(1762年)満17歳のとき忠敬と改名、平山家の養子となり平山三治郎忠敬として佐原の旧家である伊能家の婿養子となった。
伊能忠敬記念館
千葉県香取市佐原イ1722-1

忠敬の人生を年代順に追い、その業績の結晶である伊能図をあますことなく紹介。
伊能忠敬の銅像
千葉県香取市佐原イ1900番地

伊能忠敬旧宅内に建立。
忠敬橋
千葉県香取市佐原イ1720,

忠敬橋は、香取市佐原の中心部小野川と香取街道が交差する地点に架かる橋。 1968年(昭和43年)4月にコンクリートの新しい橋に架け替えられ、郷土の偉人伊能忠敬翁から「忠敬橋(ちゅうけいばし)」と名づけられた。
伊能忠敬出生之地碑
千葉県山武郡九十九里町小関2689伊能忠敬は1745年(延享2年)1月11日(旧暦)、上総国山辺郡小関村小関新田で小関貞恒・みねの三人兄弟の末っ子として生まれた。
伊能忠敬生誕地公園
千葉県山武郡九十九里町小関2689

九十九里町小関に『伊能忠敬記念公園』がある。 ここは、伊能忠敬出生地として昭和44年1月10日に県指定史跡となった。
伊能忠敬宿測量隊泊地
神奈川県湯河原町吉浜

第二次測量と言われる本州東海岸測量において、享和元年4月25日、 沿海測量して七ツ前に吉浜村(現 神奈川県足柄下郡湯河原町)の名主彦右衛門宅に草鞋を脱ぎ、夜は天測をした。翌26日も沿海を熱海迄測った。
伊能忠敬測量記念碑
福岡県北九州市小倉北区京町1丁目1

ここに、伊能測量開始200年を記念しその偉大な業績を讃え、顕彰碑が建立されました。平成13年9月建立。
伊能忠敬成長の処
千葉県山武郡横芝町小堤72番地

忠敬(幼名 三治郎)は1755年(宝暦5年)10歳のとき、小堤村に戻った父・神保貞恒のもとに引き取られる。
 伊能忠敬笹山領測量の道碑
兵庫県篠山市糯ケ坪
 伊能忠敬笹山領測量の道碑
兵庫県篠山市西岡屋

伊能忠敬笹山領測量の道碑
兵庫県篠山市大沢
 伊能忠敬笹山領測量の道碑
兵庫県篠山市草野

伊能忠敬笹山領測量の道 解説
兵庫県篠山市

名のある通り
 
  
伊能忠敬笹山領測量の道 兵庫県篠山市北新町

忠敬通り 千葉県香取市佐原

(伊能忠敬測量の道) 島根県松江市

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