立川の道 |
立川の昔の道 地図
迅速測図2万分の1 明治14年 |
1万分の1地形図 昭和30年 |
国立市との境にあり立川3中と東京女子体育大学の間を通る。田村道とは日野市満願寺の小名で田中田村の田村と言われ、満願寺あたりからの出作りが多かった関係で名付けられた。途中羽衣町二丁目で一部途切れているが、東西南北に合わせて住宅地が造成されたため、道が寸断されている。昭和初めの地図を見ると谷保村との境界線になっているが現在では郵政研修所の所までが立川になっており国立へ突き出たかたちになっている。この突き出た部分は昭和23年に住民の要望により当時の谷保村から立川へ編入された。この部分が現在の羽衣東町会であり町会の境界は現在でも昔の境界線で分けている様に思われる。2丁目52番地は全体が東町会ではなく三分の一は本町会に属している。どうも昔の境界線が生きているようである。
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田村道と書かれている地図 平成3年発行の立川市防災地図 |
田村道北側 中央線と交差地点
田村道消滅した部分北側
田村道消滅した部分南側
矢川付近
多摩川
貝殻坂橋
田村道 満願寺道 芝中道 日野道(なかはらみち)