立川の道 |
立川の昔の道 地図
迅速測図2万分の1 明治14年 |
2.5万分の1地形図 大正13年 |
武蔵野の村々を東西にはしる道で、ほうぼうにあると言う。柴崎村絵図にも二本書かれている。
一本は普済寺東北から東に向かい立川高校南、三小南、三中北、国立二中の北側その先しばらく迄はたどれるが、宅地造成で消えている。消えた道は国立七小の北東側をはしる道となって現れ、西府町二丁目で甲州街道に合わさる。
これとは別に言い伝えで旧市役所北側から立川病院北側を東西にはしる道が江戸海道だと言う事だが、府中砂川新田道と重なる様だ。
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普済寺山門
普済寺
立川高校南側
至誠ホームオンニで突き当り道は消えている。
ローソン南側で江戸海道は現れる。
立川三中北東の交差点