大阪市堺市
堺の南宗寺から北の妙國寺へ通じる道を権現道と言う。一部では権現通りとも言うようである。南宗寺には不思議な話が伝わっている。「南宗寺史」によると徳川家康は大阪夏の陣の時、真田幸村の奇襲を受け後藤又兵衛の槍で傷つき絶命したと言う。おまけに寺には家康の終焉の地の碑まである。この時遺体を運び出したのが権現道と言われているのが何よりの証拠であると信じられている。
1557年(弘治3年)創建の堺市にある名刹の南宗寺の一画に「東照宮 徳川家康墓」と碑銘が刻まれた立派な墓がある。この墓が建てられている場所は戦災で焼けるまで東照宮があったところである。
妙國寺は1582年(天正10年)の本能寺の変の際、堺を訪れていた徳川家康は妙國寺に宿泊していたが、変を聞いた、妙國寺僧、油屋親子の助けを得て難を逃れたと伝える。家康と関係の深い寺である。
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