奈良県吉野町
義経の道は「吉野歴史ウォーク」のコースのひとつで 吉野駅 -吉水神社- 勝手神社 -花矢倉 -桜木神社 を巡る全長8kのコースである。
吉水神社は義経主従が文治元年(1185)11月17日より5日間潜居した元の吉水院である。
勝手神社 義経と雪深い愛染の山頂(上の千本付近)のあたりで別れた静は、共の者に金銀を奪われ一夜を山中でさまよい、ようやく藤尾坂までたどり着いた時、金峯山寺の荒法師に見とがめられ、捕らわれの身となります。そして、この神前で舞を所望され、僧兵たちを感嘆させたと言われている。
花矢倉 義経一行は蹴抜の塔をあとに、喜佐谷を越え竜門郷から多武峯をめざして逃れることになったが、奥州以来の忠臣忠信はしんがりをを引き受けて、獅子の尾坂の頂上花矢倉の木立ちに身をよせ、攻め登る山僧めがけて矢を射て一行の血路を開いた。
桜木神社 この神社と義経とは直接の関りはないが、この神社の前には屋根のついた「うたたね橋」を思わす屋形橋がある。
義経が吉野山から落ち逃れて桜木神社下流付近まで来た時、ここに屋根を葺いた屋形橋があった。その景色のよさと疲れの為、思わずうたた寝をした「うたたね橋」があったという。うたたね橋は象の小川にかかっていた橋の名前で屋根のある橋だったという。
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