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北薩摩秀吉の道


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黄緑のライン・・・北薩摩秀吉の道
鹿児島県さつま町
 天正15年(1587年)、秀吉や羽柴秀長らに率いられた九州征伐の大軍が押し寄せた。島津義久は剃髪し、名を龍伯と改め、天正15年(1587年)5月8日、川内の泰平寺で秀吉に謁見し、正式に降伏した。同年5月18日、泰平寺を出発し帰途についた秀吉は川内川に沿って北上し、5月20日、さつま町(旧宮之城町)の山崎城に入城した。秀吉軍はさつま町船木の北薩摩秀吉の道を通り悪路の高倉山、弥三郎ケ丘へと案内された。これにより宮之城領主島津金吾は、秀吉の怒りをかい、後切腹に追い込まれた。同年5月26日、徹底抗戦を主張していた大口城主・新納忠元は大口曾木の天堂ケ尾(関白陣)で秀吉に謁見し降伏した。
 
北薩摩秀吉の道 道標
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