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(伝)太閤道


伝太閤道看板

 伝太閤道
 兵庫県三木市
太閤道と伝えられる道は平井山ノ上付城の尾根道にある道で三木合戦の際、羽柴秀吉が本陣としている。当時秀吉は太閤では無かったが敬愛を込めてか後の名称の太閤を使っている。三木合戦は、天正6年(1578)3月29日から天正8年1月17日にかけて行われた織田氏と別所氏の合戦で、織田家の武将羽柴秀吉が行った播州征伐のうちの1つで、別所氏は播磨三木城に篭城した。織田信長にとって中国攻めの最初の合戦である。この合戦で秀吉が行った兵糧攻めは、三木の干殺しと呼ばれている。
平井山の近くには竹中半兵衛の墓がある。半兵衛は美濃(岐阜県)出身の兵法家で、秀吉の片腕として活躍した。三木城攻防戦の最中、平井山の陣中で病死した。本営のあった山に続いたぶどう畑のまん中の、白い練り塀に囲まれて墓がある。

伝太閤道登り口

秀吉本陣主郭跡 
 
竹中半兵衛の墓
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