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一茶の道


 一茶の道
 
一茶の道
愛媛県松山市北条
一茶の道は一茶が歩いた松山市北条地区の下難波から最明寺までの約4.5kmのルートで句碑巡りの散策道として整備されている。途中にある最明寺には、一茶像の句碑がある。
小林一茶(1763~1827年)は、30代の約7年間、中国、四国、九州と西国を巡り、俳句修行の日々を送った。一茶が伊予を訪れたのは寛政7年(1795年)のことで風早(北条市)の地を踏んだのは同年1月13日(旧暦)、松山入りは同月15日であった。また、一茶は翌8年の秋から9年春にかけて再度来遊している。亡き俳句の師二六庵竹阿の旧い俳友、文淇禅師が住職を務めていた最明寺に立ち寄るためであった。ところが最明寺の文淇禅師は15年前に47歳の若さで病没していたのである。一茶は後継の住職に一夜の宿を乞うが断られてしまう。このあと、すぐ近くにある上難波の庄屋、柳々庵五井邸にたどり着き、泊まることができた。五井は本名高橋伝左衛門と言い俳句を嗜む人であった。この時の句が「月朧よき門探り当たるぞ」である。

最明寺
 
柳々庵五井(ごせい)邸跡

 門田兎文(とぶん)邸跡一茶句碑
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