東京 板橋区 高島通りは、東京都板橋区内を横断する東京都道の志村坂下から三園二丁目までの一般名称である。通り名は高島台からきていると思われるが高島台が高島秋帆に由来する事から採用している。
1841年(天保12年)砲術家高島秋帆が徳丸ヶ原にて、日本で初めてとなる洋式砲術と洋式銃陣の公開演習を行う。当時、高島平付近は「徳丸ヶ原」と呼ばれていた。1969年(昭和44年)3月1日:板橋区による住居表示実施に伴い高島平一丁目〜九丁目が発足する。高島秋帆にちなむ町名が採用された。
高島 秋帆 1798年(寛政10年)〜1866年(慶応2年)は、江戸時代後期から末期の砲術家。高島流砲術の創始者(流祖)。長崎生。名は茂敦、字は舜臣、通称を糾之丞。鉄砲を外国より購入し、その鋳造に尽力した。近代的西洋流砲術の先駆者で進取的精神の持主であった。幕府の鉄砲方手付、教授方頭取、講武所砲術師範役などを歴任。
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