栃木県宇都宮市河内町
永承6年(1051)安部一族の追討した前九年の役と永保3年(1083)清原家衡を滅ぼした後三年の役の時、二度とも大軍を率いてこの地を通ったという伝説が残っている。源頼義・義家公はこの時、宇都宮二荒山神社に戦勝祈願している。この道は昔、宇都宮に通じる重要な道であったという。旧上川内町には源義家腰掛けの石の話が伝わっている。下小倉を通った時の話であるが地図上に示したルートとは少し離れているようである。
ルートは大曽鎌倉橋から豊郷の瓦谷を通り、宮内・ー侍を経て本郷・黒石・田原に至り。逆面(さかづら)から高松を抜け、塩原方面に向かった。
地図上に印した道は現在ある道と地名を単純に結んだ私の想像したもので地元に伝わっている道とは違う可能性があります。
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