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信玄道


信玄道
 
信玄道
 長野県上田市
天文17(1548)年、甲斐を出発した武田晴信(後の信玄)は大門峠、砂原峠を越え、倉升山のすその御陣ヶ入畑に陣を敷いた。武田信玄が村上義清との激戦を繰り広げ、生涯初の敗北となった上田原合戦である。御陣ヶ入畑から晴信が進軍した道を上田原では昔から『信玄道』と言い伝えている。石久摩神社の境内に『上田原古戦場』の碑がある。
 
上田原古戦場の碑

上田原合戦のあらまし 石碑
碑文
 上田原合戦のあらまし
天文十七年(一五四八)二月武田信玄は、大軍をひきいて小県郡に攻めこんだ。葛尾城主村上義清は、これをむかえ討ち。十四日上田原で大いに戦った。両軍に死傷が多く、とくに武田軍は、勇将板垣信方、甘利虎泰が戦死し、信玄も負傷したが、村上軍でも雨宮刑部、屋代源吾、小島権六衛らの勇将を失い、たがい大打撃をうけた。
上田原区民は、この史上重要な合戦を世に伝えるため、総意を集めてその中心地ともみるべき石久摩神社境内に記念碑を建立することとした。
昭和 四十四年(一九六九)十二月
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