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新渡戸通り


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茶色のラインが新渡戸通り

新渡戸通り標柱

標柱説明文
標柱説明文から
明治時代から軽井沢を愛し、昭和初期に三度山に三階建洋風別荘を造った新渡戸稲造は軽井沢夏期大学創始者の一人である。国際連盟事務次長として活躍した。

新渡戸通り
長野県軽井沢町
新渡戸稲造の別荘があったことから「新渡戸通り」と命名されている。大正7年に開校した軽井沢夏期大学は新渡戸稲造が会長となっている。
  新渡戸稲造は1862年(文久2)南部藩士の子として盛岡に生まれた。札幌農学校卒業後、アメリカ、ドイツへ留学。札幌農学校教授、台湾総督府技師、京都帝大教授、旧制第一高等学校校長、東京帝大教授などを歴任。東京女子大学初代学長となり設立にも尽力。1920年(大正9)国際連盟設立時には事務局次長、太平洋問題調査会理事長などもつとめ、世界平和に尽力した。1933年(昭和8)カナダ・バンフ太平洋会議に日本側理事長として出席中、ビクトリアで客死。71歳。1984年(昭和59)五千円札の肖像画となっている。主な著書 「武士道」「農業本論」など多数

新渡戸稲造旧居解説板 (東京都文京区小日向2-1-30)
明治37年から昭和8年まで住みニトベ・ハウスと呼ばれた
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