神奈川県川崎市
鎌倉幕府が滅びた後の南北朝時代、足利尊氏と弟の直義は対立するようになり、観応2年(1351年)直義方の小澤城を足利尊氏の一軍が攻め落としている。小澤城は多摩川の矢野口の渡しを抑える交通の要衝であった。尊氏は直義の占拠する鎌倉を目指して軍を進めた。この時の道が「尊氏道」と呼ばれている。その道筋は是政で多摩川を渡り、稲城、高石、万福寺、早野、そして寺家、鴨志田、青砥(中山)であるという。川崎市麻生区早野と横浜市緑区鉄町の境の尾根道が「尊氏道」と言い伝えられている。ここから北側にある王禅寺ふるさと公園の東側の南下する道に続いていた。この道は以前に紹介した是政道の東側を通る読売ランド内の「足利尊氏道」につながるものと思われる
緑区鉄町と早野の境の尾根道に”鉄火松”と呼ぶ大松があった。昔、両村民が焼けた鉄棒を握って境界争いをしたことから、その名が付いたとの逸話がある。結果は早野村が勝ったことから鉄火松は早野側となったという。この松は昭和22年に枯れてしまい、現在は麻生老人クラブによって跡地に碑が立てられている。(柿生文化70号から
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