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伝説義経北行コースのみち1


赤のライン・・・伝説義経北行コースのみち1
岩手県奥州市江刺区
源義経は、波乱に富み、悲劇的な一生を終えた武将として人気が高く、そのため、平泉で討死にせず、北へ落ち延びたという伝説が各地に伝えられている。その義経主従が北へ向かう途中に立ち寄ったと伝えられる「弁慶屋敷跡」や「多聞寺跡」をたどる江刺市内の中心街の東側の丘陵地帯を通り抜けるコースとなって いる。 弁慶屋敷跡は平泉を脱出した義経主従は、その途中この地に立ち寄り、 白粟五升を求め炊かせて空腹を満たした。また、この地の屋敷はかつて弁慶が住んだことがあるいう言い伝えがある。多聞寺跡は義経主従はここに宿を取り、その謝礼として「笈」を 置いて去ったといわれています。また隣接地には明治記念館がある。この建物は明治7年、郡民の浄財により県下初の西洋医学の殿堂「岩谷堂共立病院」として建築され、菊田一夫作「鐘の鳴る丘」のモチーフとされた建物としても有名。
(区間〉 弁慶屋敷跡 〜 五位塚墳丘群 〜 豊田館跡 〜 多聞寺跡
距離 6.2km 東北自然歩道。

豊田館跡
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