茨城県坂東市 茨城県坂東市岩井の将門ゆかり地を巡る歴史コースとなっている。新日本歩く道紀行の一つである。承平天慶の乱は平安時代中期のほぼ同時期に起きた、関東での平将門の乱と瀬戸内海での藤原純友の乱の総称である。 関東では平将門が親族間の抗争に勝利して勢力を拡大。やがて受領と地方富豪層の間の緊張関係の調停に積極介入するようになり、そのこじれから国衙と戦となって、結果的に朝廷への叛乱とみなされるに至った。939年(天慶2年)に起きた「平将門の乱」では、自らを「新皇」(しんのう)と称し、関東に独立勢力圏を打ち立てようとするが、平貞盛、藤原秀郷、藤原為憲ら追討軍の攻撃を受けて、新皇僭称後わずか2ヶ月で滅ぼされた。
コースの主だった所を紹介すると、国王神社は将門を終焉の地に祀る神社である。3女の如蔵尼が父将門の霊を祀ったのが始まりとされる。富士見の馬場は将門によって軍馬の調練の施設として活用された。鎌倉時代には、豪族たちが戦場に出陣するために馬を飼い、その市場としても機能していたと伝わる。島広山・岩井営所跡は将門が関東一円を制覇するときに政治、経済、軍事の拠点とした。周辺には、重臣たちの居館、郎党の住居などが並び、兵たちの宿舎や食料庫、馬つなぎ場があったとされる。
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