みちのく松蔭道
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赤色のラインがみちのく松蔭道です。 |
みちのく松蔭道 |
みちのく松蔭道 |
青森県東津軽郡外ヶ浜町
幕末、明治維新の精神的支柱であった吉田松陰が津軽海峡の防衛検分のために歩いたとされる。青森県中泊町傾り石(旧小泊村)から算用子峠を越えて外ヶ浜町(旧三厩村)までの道を、みちのく松陰道と呼んでいる。
江戸に留学中、ロシアの船が北方の海に出没することを知った松陰は、その防備状況を確かめるため、脱藩覚悟で東北へ旅立った。嘉永4年(1851)の旧暦12月、22歳の時であった。翌年3月、彼は熊本藩士宮部鼎蔵とともに津軽半島に達した。竜飛崎と松前間の狭い津軽海峡を外国船が堂々と往来するのを目の当たりにし、日本の国防上見逃せない事だと憂慮した。
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みちのく松蔭道 |
吉田松陰先生詩碑 竜飛岬
吉田松陰詩
(詩文翻訳)
去年今日発巴城 去年の今日巴城を発す
楊柳風暖馬蹄軽 楊柳風暖かに馬蹄軽し
今年北地更踏雪 今年北地更に雪を踏む
寒沢州里路難行 寒沢川里路行き難し
行尽山河万夷険 行き尽す山河万の夷険
欲臨滄溟叱長鯨 流浪に臨んで長鯨を叱せんと欲す
時平男児空抗概 時平かに男児空しく抗概す
誰追飛将青史名 誰か追ふ飛将青史の名
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