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〒988-0101 宮城県気仙沼市赤岩舘下53番地 
0226-22-1234

東日本大震災での被災体験report

地震発生時の様子

活動報告写真

2011年3月11日。
 その日勤務していた乗務員は約40人。本社事務所には運行管理者や事務員など6人がおりました。午後2時46分、突然大きな揺れを感じました。管理者の一人が窓の外を見ると、海の異変に気が付きました。
海面の水位がいつもより下がっていたのです。
 管理者はすぐに無線で全車両に呼びかけました。「津波が来る可能性があるから、取り敢えず各自高台などに避難するように!本社も一時避難する為無線を一旦切ります!」。その後、何台か空いていたいた営業車両も高台に移動させ、事務員達も建物を施錠して近くの高台に建つホテルまで避難しました。しばらくすると沖の方から沢山の漂流物とともに水位が上がってきて、あっと言う間に津波が内湾を飲み込んでいきました。


津波の恐ろしさを目の当たりに...

活動報告写真

 津波発生の数日後、社長や常務が本社を訪れると、当たり一面泥と瓦礫で埋め尽くされていました。本社の建物も見るも無残な形に。1階部分は津波でえぐられて、鉄骨だけがグニャリと曲がり剥き出しになっていました。階段を上がり2階に昇るとに津波は2階部分まで来ていて、休憩室の畳がブヨブヨにふやけていました。駐車場の屋根には黒い軽自動車が乗り上げていて、津波の威力を目の当たりにしました。
 数日間は従業員とも連絡がつかず、心配でした。常務は市役所の安否を知らせる伝言板に連絡をくれるようにと居場所と連絡先を伝言板に残し、それから徒歩で何日もかけて一人一人の安否を確認して回りました。


防災無線の代わりになる

活動報告写真

 タクシー車両は13台被害に遭い、使用できなくなりました。それでも、無事だったタクシーを使って、一部の乗務員が消防センターに協力し、防災無線の代わりを行いました。当時は消防自動車も被災し、防災無線の数が足りませんでした。唐桑地区を始め、市内数か所にタクシーを配置し、お互い無線で情報を交換、それを防災センターに配置したタクシーの乗務員が消防本部へ連絡していました。「○○で火災が発生している。」「遺体安置所でドライアイスが不足している。届けて欲しい。」など、様々な情報がリアルタイムでタクシー無線を通じて飛び交っていました。協力していた乗務員の中には、自宅が津波で流され、家族と一緒に避難所で寝泊まりしている者もいました。


早く仕事を再開して欲しい...

活動報告写真

 震災発生から暫くは、各自自分の生活のことしか考えられず、会社どころではありませんでした。幸い従業員は全員無事でしたが、家族や親戚が亡くなられていたり、自宅が津波に流されてしまい避難所生活や親戚宅で寝泊まりしている者も少なくありませんでした。
 しかし、数日経った頃、社長の元を従業員が次々に訪ねて来ました。「こんな時だから移動手段に困っている人が沢山いる。早く仕事を再開して欲しい...。」口々にそう言いました。社長自身も自宅は跡形もなく流され、親戚宅に身を寄せていました。それでも、従業員に集まってもらい話し合いをし、会社を再開することにしました。それからは被災した本社の瓦礫撤去などを、従業員と一緒に行いました。そして、震災発生から16日目より業務を再開しました。所々亀裂の入った道、瓦礫だらけの道、何度もパンクしたり、燃料も一関市まで往復約2時間かけながら....。なんとかタクシーを動かしました。


ししおり・きはんせんタクシー

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