城戸久馬之進 画家の生涯(1918年〜1991年) |
大正7年2月20日飯塚に生まれる。 |
尋常高等小学校卒業後、14歳で周りから絵の才能を認められてはいたが |
家庭の事情により、美術大学進学への夢ならず商業絵画の工房へ入門する |
が、師よりの絵画指導は無く独学で技術を習得し師匠に認められ18歳で |
独立する。その後21歳にて招集を受け戦地へ出征し4年間の兵役を経て |
除隊したあと小倉兵器工場に勤め終戦を迎える。 |
しばらく映画業界から遠ざかるも生活に貧窮し、昭和22年映画広告業界 |
への復帰を思い福岡にでる。 その後、若かりし日の才能に新たなる磨きを |
かけ商業美術(映画広告業界)でメキメキと頭角を表わし城戸画房を設立、 |
多くの弟子を育て優秀な人材を排出する。 |
指導においては、我が身の独学という苦労を弟子にはさせまいと厳しく徹 |
底した指導にあたる。その絶頂期には全国から福岡に優れた絵描きありと |
訪問者多数あり、日本−との声もあった。その後社名を城戸工芸社と改め |
長男に会社を任せ45歳で引退する。 |
そして若き日の夢であった純粋絵画へと邁進することとなる。純粋絵画に |
おいては創元会に入会し初出品で日展に入選し翌年連続入選する。 |
その後も公募展への出品や個展を重ね晩年は、最後の弟子となる三男 |
城戸久務の指導にあたる。 |
-- | 城戸久馬之進 略歴 -- | |
1918年 | 福岡県飯塚に生まれる | |
1932年 | 商業絵画工房に入門 独学で絵画を学ぶ | |
1936年 | 独立し、映画広告の絵画工房を創立 | |
1939年 | 応召 | |
1943年 | 除隊後小倉市の兵器工場にて終戦 | |
1944年 | 松村ミツルと結婚 | |
1945年 | 長男生まれる | |
1947年 | 福岡市に出て、商業美術に専念、映画広告の分野で頭角を現す | |
城戸画房を独立、多くの弟子を育てる | ||
1948年 | 長女生まれる | |
1951年 | 次男生まれる | |
1956年 | 三男(久務)生まれる | |
1963年 | 城戸画房を城戸工芸社に改め、自らは引退し、終日油彩に取り組む | |
1966年 | 創元展入選 | |
1967年 | 第10回日展初出品入選 | |
1968年 | 第11回日展入選 | |
1969年 | 創元会会員推挙 | |
1971年 | 創元会退会 | |
1974年 | 第一回個展(福岡・東亜画廊) | |
1975年 | 第二回個展(福岡・村岡屋) | |
1976年 | 第三回個展(福岡・ギャラリーおいし) | |
1977年 | 第四回個展(福岡・ギャラリーおいし) | |
1978年 | 創元展受賞 | |
1980年 | 第三十二回中美展受賞 この時期にテンペラの技術を習得 | |
中央美術協会会員堆挙 | ||
大洋会会員堆挙 | ||
1981年 | 第五回個展(福岡・大丸) | |
1982年 | 「日仏現代美術展」 受賞(福岡放送賞) | |
1983年 | 第六回個展(福岡・大丸) | |
以降、三男の久務の絵画指導に専念 | ||
1993年 | 逝去 |