EU3IN ポーランドAAR 6 1630-1679

海の都の残酷物語

1633/02 - 1633/07
ランダムイベントでコア化したヴェネツィアへ宣戦布告。 ナポリ・スイス・ヴュルテンベルクが付いてきた。
ナポリ・ヴェネツィア・スイス・ヴュルテンベルクから アンスバッハ(これもコア)と計5750ダカットを得て和平。 賠償金が凄まじいので今回併合は見送り。

1635/01 - 1635/06
思う所あってノヴゴロドと戦いたいのでカザンへ宣戦布告。 相手は弱ったノヴゴロドと遠隔地のカザンのみ。
ノヴゴロドからウラジミールと2000ダカットを得て和平。 賠償金がここまで貰えたのは嬉しい誤算。

1638/06 - 1638/07
またヴェネツィアに宣戦布告。今度はナポリがいないので楽勝。
併合しようとも思ったが、まだ金があるようなので2500ダカット得て和平。 それにしてもリッチ振りが凄まじい。

1639/10
オスマン帝国を叩くため属国のボスニアへ宣戦布告。

1640/02
戦争中に新帝ミハル3世コリィブト即位。能力値は文句なしの最低値 3-3-3。・・・神よ!

1641/07
オスマン帝国(とボスニア)から ゲルツ・イストリア・クロアチア・ダルマチア・ラグーザ・フム の6プロヴィンスと150ダカットを得て和平。 苦戦させられたが、アドリア海の豊かなプロヴィンスを獲得した。

1643/08 - 1643/11
またヴェネツィアに宣戦布告。とうとう敵同盟国が無くなった。 そして2500ダカット得て和平。・・・タカリ?

1645/01 - 1645/12
今度はオスマン国のセルビアへ宣戦布告。
オスマン帝国(とセルビア)から コソボ・ゼタ・アルバニア・マケドニア・エディルネ の5プロヴィンスと100ダカットを得て和平。

1649/01 - 1649/04
ヴェネツィアに宣戦布告。今度は併合。

三海の覇者

バルト海・黒海に続いてアドリア海の覇権もゲット。

この時代の東方がこんなにお得で良いの?

1649/12
陸軍レベルが25に到達。防衛施設レベル3が建設可能に。 豊かな都市や前線から順に建設していく。

1650/02
統治レベルが27に到達。政体を絶対君主制に変更。 さようなら帝国。これもスライダーのためだ。

1656/04
陸軍レベルが26に到達。南コサック兵にアップグレード。 ようやくコサック登場。

1658/01
東にも進出を図りアストラハンへ宣戦布告。 ティムール・モロッコ・デリー・シンドが敵に付く・・・がティムール以外は蚊帳の外。 そしてティムールも部族国家であるため超大国の割りにそれ程の強さではない。

ウラジミールはこのために

ウラジミールからアストラハンへ侵攻し面白いように突き進む。

1658/12
ティムール・アストラハンから ガザ・アラニア・イメレティ・エルズルム・ルガンスク・ヴォロネジ の計6プロヴィンスと計750ダカットを得て和平。 ティムールの飛び地ガザを手に入れたことで聖地に王手である。

1661/05
新王ヤン3世アルベルト即位。能力値は7-7-6。名君だ!
そして司法制度法の可決。宗教的内乱がまだ終わっていないので暴動発生率低下は有難い。

1664/10
統治レベルが30に到達。国策「内閣」を選択。

1665/01 - 1666/06
今度はオスマン国のボスニアへ宣戦布告。
オスマン帝国からユダヤ・トラブゾン・ムーサの3プロヴィンスと650ダカットを得て和平。 ついでにイエメンの属国解除。

聖地征服

遂に聖地を征服した。とりわけ宣教師増加率アップが有難い。

ドイツ諸侯の豊かさは異常

1668/06 - 1669/10
久々にコアプロヴィンス回収のためオーストリアへ宣戦布告。 敵に付いたのはミュンスター・ブラウンシュバイク・イギリス・アンハルト・ヘッセン。 神聖ローマ皇帝のイギリスが厄介だが盟主はミュンスターなのでどうにかなるか。
ミュンスター(イギリス)・ブラウンシュバイク・ヘッセン・オーストリアから フリースランド・ボーフュースレン・アグデル・ハッランド・ヴェステルイェートランド・ プファルツ・ブレーメン・オルデンブルク の計8プロヴィンスと計5650ダカットを得て和平。 さらにアンハルト併合。
結局オーストリアは膨大な賠償金のため併合せず。 またミュンスターを全土併合させてスカンジナビアのイギリス領を割譲させることに成功。 これでバルト海に残ったのはデンマークだけである。

1676/01 - 1676/12
オーストリアへ宣戦布告。小国がわらわらと付いてきた。
ミュンスター・ブラウンシュバイク・ヴュルテンベルク・ヘッセン・バイエルン・オーストリアから ゲーレ・オスナブリュック・ブランズウィック・シュヴァーベン の計4プロヴィンスと計7200ダカットを得て和平。
賠償金がすげえの。でもそのお蔭で併合する気にならない。

1677/06
統治レベルが31に到達。税務署が建設可能になる。 ちなみに他のレベルが上がらないと意味無いので (国立銀行と入れ替える国策は生産か交易レベルが上がらないと選べないアレ) 統治には全然投資していなかったが勝手に上がってしまった。 別に急ぐものではないのでゆっくり建設する。

1678/09
新王ヴワディスワフ4世即位。能力値は6-3-5。ううん、劣化したか。

1679/12
陸軍レベルが29に到達。ワルシャワに陸軍士官学校の建設開始。

1679年の世界
スカンジナビアのイギリス領が無くなって大分見た目がスッキリした。 ちなみにティムールが超大国に見えるがハリボテである。 今オスマンと戦って返り討ちにされている所。 そしてイギリスがインドに進出している。 戦力分散してくれると有難いのだが・・・。

ポーランドAAR のトップに戻る
前のページ(ポーランド5 1580 - 1629)へ
次のページ(ポーランド7 1680 - 1729)へ
W.C.P. に戻る