EU3IN ポーランドAAR 7 1680-1729

開発資金は敵の金庫から

1681/05 - 1681/08
またまたオーストリアへ宣戦布告。併合するつもりがタカリになっているが。
オーストリア・バイエルン・ヘッセンから計4900ダカットを得て和平。 さらにヴュルテンベルク併合。
なかなかオーストリアの所持金が無くならない。

1686/09 - 1686/12
オーストリアへ宣戦布告。という名のタカリ。
オーストリア・ヘッセンから計2650ダカットを得て和平。 さらにバイエルン併合。
セーブデータを確認したらオーストリアはまだ7000ダカット以上持ってた。

1687/10
陸軍レベルが30に到達。ソルダティ歩兵にアップグレード。

1691/12 - 1692/02
毎度お馴染みオーストリアへ宣戦布告。
ブラウンシュバイク・オーストリアからハノーヴァーと計2750ダカットを得て和平。 ついでに中核州のハノーヴァーを回収できた。

1692/06
陸軍レベルが31に到達。 防衛施設レベル4が建設可能・・・なのだがレベル3もまだなので主要都市以外は後回しか。

1692/07
鉱業法の可決。生産収入がアップ。

もう一つの聖地

1693/02 - 1694/12
ティムールやモロッコとの戦いでボロボロになったチャンスにオスマン帝国と戦う ・・・ため属国セルビアに宣戦布告。
案の定敵はボロボロで戦勝点も面白いように貯まるのだが、

ベイルート転向

とうとう愛想尽かされた模様。
オスマン帝国からダマスカス・ハウラン・ディアマンティーナ・デルタ・アレクサンドリア の5プロヴィンスと100ダカットを得て和平。

1697/03 - 1697/06
毎度お馴染みオーストリアへ宣戦布告。
オーストリア・ヘッセンからコブレンツと計2850ダカットを得て和平。 ついでに鬱陶しいヘッセンを属国化。

1697/07
酒類法の可決。国税収入が微増。

1698/02 - 1698/08
ノガイへ宣戦布告。ティムール・アストラハンの草原国家付き。
ティムール・アストラハン・ノガイから デリゾール・ヴァン・カルトリ・ボグチャル・サラトフ・タムボフ の計6プロヴィンスと計2400ダカットを得て和平。

シリアと地続き

これでシリアの領土と地続きに。

1703/04 - 1703/06
もう定例行事だがオーストリアへ宣戦布告。
オーストリア・ブラウンシュバイク・ケルンからヴェストファーレンと計5100ダカットを得て和平。 ついでにブラウンシュバイクを属国化。

1703/12
交易レベルが30に到達。国策「国立銀行」を「科学革命」に変更。

1704/08
新王アレクサンデル2世即位。能力値は 3-4-4。・・・まあ、外交は上昇したね。

1705/12 - 1706/11
オスマン帝国と戦うため属国ボスニアに宣戦布告。
オスマン帝国からシナイ・タブク・メディナ・メッカ・アシール の5プロヴィンスと200ダカットを得て和平。
紅海沿岸プロヴィンスを得たことで

メッカ征服

また聖地征服ボーナス獲得。

宗教モザイク

まだ宗教がこんな感じな上もう改宗イベントも起きないのでとても有難い。 これでもかなり改宗したんですよ・・・。

腐っても神聖なローマ皇帝

1708/07 - 1708/08
オーストリアへ宣戦布告。
ケルンから1300ダカットを得た上で属国化。 さらに遂に所持金が尽きたオーストリアを併合。

1711/08
陸軍レベルが32に到達。コサック騎兵にアップグレード。

1713/02 - 1717/05
コア化したザクセンへ宣戦布告。 神聖ローマの一員なので皇帝のカスティーリャがこちらに宣戦。 ・・・だが海軍でもこちらが勝っているので実はほとんど問題なし。
というわけで翌月ザクセン併合。
さらに余勢を駆って翌年マグデブルクに宣戦布告。こちらも即併合。
カスティーリャはだらだらと戦争状態だけ続け4年後に白紙和平。

1718/02 - 1719/11
アクイレイアへ宣戦布告。 ナポリ・カスティーリャがこちらに宣戦。 地続きのナポリが盟主というのは有難い。
というわけでアクイレイアも翌月併合。今は賠償金よりプロヴィンス回収である。
また余勢を駆ってマインツに宣戦布告。 敵同盟はミュンスターだが今度は計2200ダカットと両国の属国化で和平。 BBR が高いのとマインツが選帝侯なのが理由。
ナポリにはズンズン侵攻しベルンと150ダカットを得て和平。

1721/02
統治レベルが33に到達。国策「スミス派経済論」を選択。

1721/06
遂にポーランドが神聖ローマ皇帝に!

神聖ローマ皇帝

1725/02 - 1726/11
デンマークへ宣戦布告。 同盟していたカスティーリャがこちらに宣戦。 デンマークはすぐに併合したが、カスティーリャとは相変わらずダラダラ状態。
というわけで翌年末に白紙和平。これでバルト海沿岸完全制覇。

1725/11
上記戦争中に新王クリシュトフ1世即位。能力値は 8-6-3。なかなかの名君。
そして属司教法の可決。税収を代償に安定性費用低下。

1727/03
今頃になってピサが狙われる。

神聖ローマ皇帝の義務

というわけでナポリ・ノヴゴロドと戦争。実は飛んで灯に入る夏の虫だったりして。

見渡す限りポーランド

ところでゲーム開始画面ではポーランド一色になっていた。超気持ち良い。

1728/11
ナポリ・ノヴゴロドからロンバルディア・ヴォログダ・ウスチュグ の計3プロヴィンスと計1650ダカットを得て和平。
ピサはナポリに併合されていたが寧ろ好都合。

1729/03
新王スタニスワフ1世即位。能力値は 8-3-5。って交代早っ!
そして今更だが日曜学校の設立。税収が減るが暴動発生率ダウン+改宗率アップ。

1729年の世界
今回特に収入面でポルトガルの伸張が凄まじい。 とは言ってもウチとぶつかるのは当面先、或いはゲーム終了までぶつからないかもしれない。 ちなみに東の面積だけやたら広いティムールより西の陸軍国フランスや海軍国イギリスの方が厄介。

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