1895/12
プロイセンと同盟を結んだら南ドイツと戦争中(しかも圧勝)でした。
こちらが盟主になったので向こうから謝ってきましたが、
折角なのでうちの属国にしました。プロイセン涙目。
植民地はポルトガルと仲良くなって技術と引き換えにビサウ・ゴアを技術と交換でもらい (ゴアはイギリスに売却)、 エチオピア・ソコト・ザンジバル・シャムを新たなターゲットにした。 中国は相変わらず。じつは日本が独立保障で参戦してしまうのだが、 お互い相手にダメージを与えられず(日本の植民地は島嶼しかないのだ)、 本気で戦いたくもないので毎回適当な所で和平している。 またロシアとの領土交換により、ウラル以東のシベリアはフランスのものとなった (中央アジアは除く)。
1901/11
そんな中、それは突然やってきた。
適当に叩いて属国にでもするか〜と思っていました、この時は。 でも今度はプロイセンが盟主だったんですね〜。
勝手に和平されてこんな僻地を手に入れてしまった。 BBRが上がるだけで邪魔なので終戦時に返却しました。
1903/12
一方その頃ロシアはオスマンと戦っていたのだが、
オスマンに負けるロシア。まさかロシアがヘタれるとは。
1908/12
イタリア戦争絡みのイベントを蹴ってしまった所為で、
サヴォイ・ニースが未回収だった。
ここで未回収中核州を取り上げるべくイタリアへ宣戦布告。
イタリアは結構強国で国境地域に相当な兵力を溜め込んでいたが、 隙を突いて中部イタリアに上陸し、属国にすることを認めさせた。
BBRの都合上サヴォイ・ニースのみで手打ちとした。
1910/05
最後の空白プロヴィンス、タネズルフトの植民が完了。
アフリカの大部分はフランスのものとなった。
これまで植民地拡大と同時に社会改革も行ってきた。 左側に社会改革の状況(世界最高水準である)、右に中国での拡大状況を示す。 ちなみにプロイセンの杭州は後で購入した。
自由貿易で税率を下げられないため、社会改革による急進性低下が不可欠である。 (前回これでリタイアしたため特に注意している)。 ちなみに時々選挙直前の政権交代+工場建設も行っているため、 急進性低下は結構死活問題だったりする。
1912/06
そろそろ植民地を取れる所が無くなってきたのでスイスに宣戦布告。
即全土押さえて属国化。
1913/06
スペインに宣戦布告アーンド属国化。結構広いスペインだがイタリアに比べれば楽勝である。
1914/04
オランダに宣戦布告アーンド属国化。折角なのでゼーラントの4プロヴィンスも貰う。
この結果
属国の壁が完成した。
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