対プロイセン勝利の後やったことはひたすら植民地獲得である。 カッチ・ブルネイ・ネジド・アブダビと次々にフランスの毒牙にかかり併合されていった。 さらに作者が我慢できなくなり破産していないアルジャザールも首都以外割譲 アーンド次回併合のコンボを喰らわされた。
1879/09
そんな中ついに選挙でボナパルティスト派が勝利した。
いままでナポレオン皇帝だったのに自由主義政党だったのである。
保守主義政党が2つあるので今まで票が割れていたのだが、
保守主義の割合がぐんぐん増えて遂にボナパルティスト派がトップに立てたのである。
自由貿易なので関税収入が激減したが、介入主義なので鉄道が建設できるようになった。
これで列強のくせに泥んこ道〜ともおさらばである。ひたすら鉄道を引く。
ついでに工場も拡張していく。
1880〜1881
イギリスから旧アブダビ領と引き換えにアフリカ植民地を獲得していく。
西アフリカは俺のモンである。
1882/09
ラッキーなランダムイベント発生。
本来解除される年次より前に強力な浸透戦術を手に入れた。ラッキ。
ちなみに植民活動はアフリカ・南太平洋・シベリア奥地で行っている。 ロシアは自分では植民しないので、威信稼ぎに利用させてもらう。 さらに領有した内陸プロヴィンスは極東の海沿いプロヴィンスと交換する。
ついでに言うと中国苛めは美味しいので休戦明け毎に行う。
賠償金とついでにプロヴィンスも南部と黄海沿いを中心に貰っていく。
中国史実以上に哀れ。
1887/06
植民地苛めばかりしているのも何なのでベルギーに宣戦布告。
ちなみにイギリス様との関係が切れるのを待っての宣戦布告である。まさに外道。
無論ヨーロッパ先進国と言えども国力差が圧倒的なのでこちらが圧勝である。
で次回のために3プロヴィンス残して領土を奪い終戦。
ちなみに上の絵と比べて工業力が上昇しているのは主に鉄道効果である。
休戦期間中もしっかり植民地を獲得しておく。 餌食となったのはモロッコ・ルアンプラバン・オマーン・マダガスカル。 またBBR調整のためネジドを独立させる。・・・また後で再併合するが。 無論アラブ兵を予め他国へ派遣しておくことも忘れない。
もう一つ、クリミア戦争でロシアが失った領土を買い上げ、ロシアに返還する。 無論タダではなく、シベリア植民地と交換である。ついでに中央アジアにも植民開始。
1892/10
ベルギーに止めを刺す。
この辺りは人口密度が高く、見た目以上にお得である。
一方
中央アジア植民も進める。植民を終えた領土は飛び地にならないようロシアと交換である。
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