EU3IN デリーAAR 6 1631 - 1680

東南アジアカレー紀行

1631/01
相変わらず国内メタメタな明に宣戦布告。
そして主力を相手にせず翌年和平。 獲得したのはムガリスタン・カチン・チェウセ・モールメイン・センウィ・モンナイ・チェンマイ の7プロヴィンス。ムガリスタン以外は全て東南アジアである。 賠償金は取らなかった。戦勝点ではなく明が金を持っていないのである。

1634/05
西欧化を成し遂げた名君シェール・シャー2世がお亡くなりに。本当にお疲れ様でした。 新帝はサイカンデール2世。能力は 4-8-5。 ある意味これからのデリーに相応しい皇帝である。
つまりこれからカレーの時代が始まるのである。

1634/06
その翌月陸軍レベルが16になりレベル2防衛施設が建設可能になる。 とは言え高いので前線と主要都市を優先して順次建設していく。

1635/02
明の属国アユタヤに宣戦布告。明も宗主国として参戦してきたが、

敵ながら哀れな

ご覧の有様である。そして年内にイジメを完了=和平。 スコータイ・チャイントーン・ラーチャブリー・大理・リゴレの5プロヴィンスと50ダカットを獲得。

1635/10
和平直後に海賊対策法を可決。かなりプロヴィンスを分捕っているが、 BBR があまり上がらず助かっている。

1640/12
またアユタヤに宣戦布告。翌年和平して獲得したのは 和田・ラヨーン・シーサパンナ・コラートの4プロヴィンスと50ダカット。

1642/10
統治レベルが17に到達。国策「軍事演習」を選択。 もうこれで不利な要素が無くなった。 ちなみにレベルアップが速くてなかなか慌しくも嬉しい日々である。

1644/02
ペルシアの飛び地で反乱独立していたペグーに宣戦、即併合。

1647/10
またまたアユタヤに宣戦布告。また翌年和平。 獲得したのはシェムリアップ・パンドゥランガ・ターケーク・チャンパサック・ビエンチャン・ ルアンパバーンの6プロヴィンスと100ダカット。

1649/09
陸軍レベルが18になり歩兵がインド長弓歩兵に。 名前は長弓だが能力は鉄砲先取りである。

1652/01
スコータイ朝に宣戦布告。

元・覇者も大変である

何となく明がマゾに思えてきた。

1652/02
スコータイ朝を併合しようかと思ったが、1100ダカットも持っていたので賠償金で和平。 この金でデリーに大学を建設。

1652/08
その後クメール・明と和平。 合わせてタンロン・ベトバク・文山・プレイ=ノコーの4プロヴィンスと250ダカットを獲得。
明が大分回復してきたが、まともにぶつかっても勝てるようになった。

1653/12
敵 CoT の勢力圏だったタンロンに CoT を建設。 東南アジアの大部分を勢力圏に納める。

1654/04
チャンパに宣戦布告。隣のアンナンとまた明が敵側で参戦。 1プロヴィンス国家のチャンパとアンナンは年内に併合。 翌年明から涼山・カム・チャムド・ダングラ・チャルチャンの5プロヴィンスと 200ダカットを得て和平。 チベットを明が吸収してくれたので BBR 上昇を抑えられてラッキーであった。

流石にやり過ぎたか

ご覧の通り東南アジア・チベットはほぼ調理完了制圧したが、BBR も随分溜まってしまった。 流石に暫くは大人しくしていることにする。

そして西へ

1659/07
統治レベルが20に到達。按察所を全土に少しづつ建設開始。

1660/03
今度は陸軍レベルが20に到達。マンサブダール騎兵・マンサブダールマスケット銃兵に変更。 ようやくインドも銃装備である。まあ史実を考えるとこのゲームのアップデートは少し遅すぎるのだが。

1663/03
新帝イスラーム・シャー1世即位。能力は 4-4-5。イマイチか。

1667/01
交易レベルが21に到達。市場を全土に少しづつ建設開始。 急に建設できる施設が増えたため建設が追いつかない。

1667/04
統治レベルが22に到達。国策「ウナム・サンクタム」を選択。 これを使う相手は1国しかいない。
同時にイスラム学問の拠点を建設。 建設費用が+8%される代わり国内暴動発生率が−1%、改宗成功率が+5%。 建設コスト増加は痛いが、それに見合う効果はあると思う。

1668/03
早々と新帝バハルル・ルディ1世に交代。能力は 6-6-4。まあまあ。
そして即位早々ペルシアに宣戦布告。 ペルシアは何と明と同盟を組んでおり、 東西の大国と同時に戦うことになった。 とは言え明はまた戦う前からズタボロなのだが。

1668/10
先ずはペルシアと和平。 獲得したのはアンダマン諸島・キジルクーム・チャルジョ・マルブの4プロヴィンスと25ダカット。 結局かつて明に奪われたアンダマン諸島も取り返した。 ちなみにマルブはミッション対象だったので即コア化。

1669/02
残った明と和平。 獲得したのはアムド・江門・海南・広西・貴陽の5プロヴィンスと100ダカット。 とうとう華南に進出である。 計9プロヴィンスを得たことでまた BBR が溜まってしまった。 また大人しくしていなければ。
ところで

何とトップに

領土の大量獲得と施設の効果で遂に収入世界一となった。 とは言えあまり他の上位陣と差が無いので瞬間風速かもしれないが。 まあインドは茶や香辛料など市場によって価格が跳ね上がる奢侈品が多いので期待はしても良いだろう。 ちなみにプロヴィンス数は植民地持ちまくりのスペイン様に次いで2位。

1676/01
またペルシアに宣戦布告。 前回と同じような経過を経て年内に決着。 獲得したのは合わせてブハラ・ハート・ウイグルスタン・クルクタグ・玉門・固原 の6プロヴィンスと100ダカット。

1676/10
このイベントを待っていた。

このイベントを待っていた

着実に保守化が進んでいる。また改宗の嵐だ!

1679年の世界
前回は前々回とあまり代わり映えがしなかったが、 今回は特にチベット・東南アジアに大きく勢力を伸ばした。 ちなみに明の中の緑のシミは反乱で独立したモンゴル。 ところでアフリカではムタパがスペイン様から反乱独立している。 どうもヨーロッパの戦いで疲弊したらしい。 こうしてお互い潰しあってくれると助かるのだが。

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