EU3IN デリーAAR 5 1581 - 1630

因果は巡る

1580/05
スワヒリに玉座要求の上宣戦布告。

アフリカいじめ

戦い自体は楽勝。 ちなみにカザフスタンと国境は接していないので実質無関係。

1581/05
モザンビーク・キルワの2プロヴィンスと1600ダカット(!)を得て和平。

スペイン様の隣

スペイン様のお隣である。ちなみにキルワは金山。ウッハウハである。 無論スペイン様への貢物は欠かさない。

1585/11

明め・・・今こそ!

明のこの兵力・・・今がチャンスか。
明へ宣戦布告。

1587/06
明と和平。疲弊しても明は超大国。強かった・・・。
獲得したのはチン・サマルカンド・フェルガナ・タシケントの4プロヴィンスと150ダカット。

サマルカンドゲットォーー!

1596/10
今度は疲弊から回復した明がこちらに宣戦布告。

オノレ明め

明は国策「軍事演習」を持っているので強いのである。

1596/12
今度はロシアが宣戦布告。???

ロシア・・・お前は一体

ちなみにロシアはあまり広がっていなくてこちらと国境は接していない。 また海外進出もしていない模様。何で宣戦布告?

1598/12
一応東南アジア方面で明に勝ち続けたものの、人的資源が尽きてしまった。 中央アジアで徐々に押され始めている。

無、無念じゃ・・・

残念だけどここまでか・・・というわけでこちらが25ダカット払って和平。 欲張って反乱頻発で崩壊したら何にもならないからね。

1599/05
ロシアにも25ダカット払って和平。 結局アイツは嫌がらせがしたかったのか?まあ多分 AI のバグなんだろうが。 疲弊度が溜まりまくってしまったので暫くは大人しくしている。

西欧化!

1612/11
スライダーが条件を満たして待つこと4年。 新王シェール・シャー2世即位。
能力は 7-7-8。キターーー!!!!。
遂に条件を全て満たし

西欧化1st

西欧化の始まりである。先ずは第1ステップで技術イスラム化。
デリーの場合元々イスラムじゃねえかって気はするが。

1612/12
技術変化の効果は抜群で、早速統治レベルが11に。 国策「礼拝の義務化」を選択。 とにかく早く安定度を上げなければ。

1617/11
西欧化その2。東欧化。

1622/03
西欧化ファイナル。遂にラテン化。

西欧化の威力

隣国の影響で全技術が一点全力投資並みに上昇する。うおおお!ラテン化すっげぇー!

1625/02
明が疲弊していて隙アリなので宣戦布告。

1625/11
敵が本格的に動く前に和平。 獲得したのはチュイ・天山・ペグー・トングー・アルティシャー・ザガイン の6プロヴィンスと50ダカット。上出来である。

1627/06
西欧化のついでに帝国主義導入。さらに民兵法を可決して質重視を犠牲にして中央集権に寄せる。

1628/04
統治レベルが15に到達。全土で裁判所の建設を始める。 うーん、見直してみるとボヘミアの100年遅れだな。

1630年の世界
うちが少し広がった他はオーストリアがかなり勢力を伸ばしている。 これでオスマンを抑えてくれると良いのだが。 ちなみに西欧諸国とまともに殺り合うつもりは無いので アナトリアを超えてマムルーク朝の辺りまでは来ないでくれると嬉しい。 そうならないようフランス様にも頑張って頂きたい。 他力本願だけど。

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