EU3IN ブランデンブルクAAR 2 1500 - 1599

帝国成立

1500/01 - 1502/06
ボヘミアの領土を狙ってバイエルンに書類偽造の上で宣戦布告。
ちなみにフランス様の要請に応じてイングランドに宣戦布告していたが、 フランス様は同盟を切ってしまった。勝手だねえ〜。
アンスバッハ・マイセン・ボヘミアから ニーダーラウジッツ・オーバーラウジッツ・ラチブシュ・エルツ の4プロヴィンスと計1500ダカットを得て和平。 さらにアンスバッハ・マイセンを属国化。
HRE 皇帝のアンスバッハを属国化したことで

神聖ローマ帝国皇帝

ウチが HRE 皇帝になった。
さらにイングランドに小銭を払って和平後プロヴィンス数が30に達し帝国主義を導入。 2つの意味で帝国になった。

1506/12
新帝アルブレヒト4世即位。能力は 4-6-3。流石に能力下がった。

1508/01 - 1509/12
ブルゴーニュが HRE のブレーメンに侵攻した。皇帝として防衛しなければならない。

ブルゴーニュによる侵攻

ブルゴーニュに対して陸軍の質量共に劣っていたが、兵力の集中運用により各個撃破に成功。 結果は圧勝だった。 ブレーメンくらいは潰させるつもりだったんだが・・・。
ブルゴーニュからハノーヴァー・オスナブリュック・ヘッセン・ナッソー・マインツ の5プロヴィンスを得て和平。

1508/12
戦争中にブレーメンでプロテスタント革命が発生。

1511/04
ブルゴーニュで宗教改革が発生。いよいよである。

宗教の混乱

1511/09
同盟国フランスからブルゴーニュ叩きに誘われたが、流石に休戦破りは痛いので断る。

1512/12
新帝ヨアヒム1世即位。能力は 3-7-6。なかなか良い能力。

1513/01 - 1514/09
コア化したリューネブルクに宣戦布告。相手はプロテスタントなので安定度低下が無い。Good!
オーストリアから1300ダカットを得て和平。さらにリューネブルク併合。

1516/12 - 1518/07
リトアニア・メクレンブルク連合が我が国に宣戦布告。 これまた相手が大国っぽいが返り討ちである。
メクレンブルク・リトアニアからリガ・ウェンデン・リヴォニア・エストニア・エーゼル の5プロヴィンスと250ダカットを得て和平。

1517/06
陸軍レベルが13に到達。ただしランツクネヒト歩兵へのアップデートは戦後。

1521/10
宗教的内戦が勃発。

1523/09
統治レベルが15に到達。全土に裁判所を建設。これで多少はマシになるか?

1525/01 - 1526/01
コア化したオルデンブルクに宣戦布告。 ただしオルデンブルクは2プロヴィンスなので首都が得られるのは次回である。
オルデンブルク・ブルゴーニュからフリースラント・ゲーレ・プファルツ の3プロヴィンスと75ダカットを得て和平。
イングランド・フランスに叩かれて最早ブルゴーニュは格下の相手になってしまった。

1530/01
陸軍レベルが16に到達。レベル2防衛施設を少しづつ建設開始。

1533/02 - 1533/10
オルデンブルクに止めを刺すため宣戦布告。
ブルゴーニュからブレーメン・オランダ・コブレンツ の3プロヴィンスと25ダカットを得て和平。 そしてオルデンブルク併合。

1537/05
新帝ヨアヒム2世即位。能力は 3-5-4。またスペックが落ちた。

1540/01 - 1541/02
賠償金目当てでブレーメンに宣戦布告。
ブレーメン・ブルゴーニュ・オーストリアからブレダ・ゼーラント の2プロヴィンスと計2600ダカットを得て和平。

1541/06 - 1544/12
ジェノバ防衛のためヴェネツィアに宣戦布告。 ・・・と言っても守る気なぞさらさら無いが。

ヴェネツィアとの対決

1544/09 - 1546/01
などとのんびりしていたらリトアニアがミュンスターに侵攻。 とりあえずヴェネツィアには小銭を払ってお引取り頂く。 それでもポーランドはともかくカスティーリャが敵同盟についているのはかなり痛い。
ポーランド・リトアニアからプスコフ・フランケン の2プロヴィンスと計650ダカットを得て和平。 ちなみにフランケンはカスティーリャ領だったが盟主和平で強引に奪った。 ドイツの成立条件だし。

1549年の世界

その頃の世界の様子。結局ブルゴーニュは往時の見る影も無し。

プロイセン王国

1550/01 - 1550/08
またブレーメンに宣戦布告。
メクレンブルク・ブレーメンからスレースヴィ と計1500ダカットを得て和平。さらにブレーメンを属国化。

1551/04
現在のプロヴィンス数53。その宗教の内訳は

改革派20
プロテスタント11
カトリック22

となっている。ここでプロテスタントに改宗!

プロテスタントに改宗

敢えて少数派のプロテスタントを選んだのは

  1. ブランデンブルク・ヴロツワフといった人口の多い(=改宗しにくい)プロヴィンスがプロテスタント
  2. ブルゴーニュ・ボヘミア・オーストリアといった周辺の中堅国(=エサ)が改革派
  3. やっぱプロイセンならプロテスタントでしょ

といった理由からである。 ちなみに3.の通りプロイセンを目指すので改宗しないという選択肢は始めから存在しない。

1552/08 - 1562/12
せっせこ安定度を回復させながらやったこと

  1. オランダに新規 CoT 建設。
  2. 警視の設置。とにかく反乱発生率を下げる。
  3. 統治レベルが17に到達。国策「権利章典」を選択。
  4. 陸軍レベルが18に到達。マウリッツ歩兵にアップグレード。
  5. 海賊対策法の可決。

やはり今回技術レベルアップが遅い。最初のコアプロヴィンス数の少なさが響いたか?
そんな中

1559/05
新帝カール1世即位。能力は 8-8-6。名君再び!そして・・・
条件を満たしプロイセン建国が可能に!

プロイセン建国

1563/01 - 1564/01
コア化したクレーフェに宣戦布告。
クレーフェ・スカンジナビア・ブルゴーニュからユトランド半島・ブラバン・リンブルフ・ケルン の4プロヴィンスと計1250ダカットを得て和平。 賠償金が多かったのでクレーフェ併合は次回。今回は同じくコア化していたケルンの回収で満足しておく。

1568/01
属国ブレーメンを外交併合。

1568/07 - 1569/02
再びクレーフェに宣戦布告。
スカンジナビアからネヴァ・インゲルマンランド の2プロヴィンスと200ダカットを得て和平。 今回はクレーフェを併合。

1569/02 - 1576/01
前の戦争終結の直前にコルシカ防衛のためヴェネツィアに宣戦布告。 相変わらず鬱陶しい。チョコチョコ遠征してきた雑魚以外は暫く放置。

1573/01 - 1573/11
暇なので残った1プロヴィンス国家を回収するためメクレンブルクに宣戦布告。
ヴュルツブルク・ユトレヒト・ポーランド・オーストリアからウーチ・ルブリン・クラクフ の3プロヴィンスと計4875ダカットを得て和平。 さらにメクレンブルク併合。
ヴェネツィアは結局小銭を払って和平。 遠征もしたが中々屈服まで至らず面倒になった。

1578/03 - 1579/01
また賠償金目当てでミュンスターに宣戦布告。
ミュンスター・オーストリアから計2800ダカットを得て和平。 オーストリアの所持金に底が見えない。

1580/07 - 1582/07
コアのボヘミア併合へ向けてボヘミアに宣戦布告。
ボヘミア・スカンジナビア・イギリス・ポーランドから シュヴァーベン・オーバープファルツ・シェラン島・フュン・アントウェルペン・バーデン の計6プロヴィンスと計1250ダカットを得て和平。

CoT5個

これで領内の CoT が5個に。
西からアントウェルペン・オランダ・リューベック・後ポンメルン・リガ。

1581/03
戦争中に摂政評議会に。能力は 4-7-6。HRE 帝位はオーストリアへ。

1583/02
統治レベルが20に到達。プロテスタントのプロヴィンスから按察所を建設。

1585/01
新帝ハインリヒ4世即位。能力は 5-4-3。しょぼ!

1588/01 - 1589/04
再び1プロヴィンス国家を回収を再開。ユトレヒトに宣戦布告。
オーストリアからチロル・トレントの2プロヴィンスと1500ダカットを得て和平。 さらにユトレヒト併合。

1593/07
交易レベルが21に到達。全土で市場を建設。これでさらに金銭的に楽になれる!

1595/01 - 1595/07
賠償金目当てでバイエルンに宣戦布告。
バイエルン・オーストリアから計4800ダカットを得て和平。
バイエルンも予想以上に金持ちだった。

1598/01 - 1598/08
コア化したミュンスターに宣戦布告。
オーストリアから2500ダカットを得て和平。 さらにミュンスター併合。

1599年の世界

ヨーロッパで強敵と言えるのはフランス・ヴェネツィア・カスティーリャ・イギリスに限られてきた。 内2つは接していないので実質2カ国。 一方これから狙うのは1プロヴィンス国家を除いてブルゴーニュ・ボヘミア・ポーランドといった所。
外交的にターゲット設定が難しくなりそうである。

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