1530/12
BBRが大分貯まってしまったので暫くは減少待ちである。
その間全土にレベル2防衛施設や連隊野営地を建てつつ、
統治レベルが17に到達したので国策「ウナム・サンクタム」を取る。
これで改宗しなければプロテスタント・改革派・正教は何時でも攻められる。
1534/02 〜 1545/11
この後残った中核州を回収するべくアクイレイアに宣戦、間を空けてブランデンブルクに宣戦。
ついでに敵同盟から領地を削り、一連の戦争で得たプロヴィンスは
フリウリ・バンベルク・ブランデンブルク・ヴェネツィアの4つ。
ついでに選帝侯のヴュルツブルクを属国にする。
特にブランデンブルクはミッションと重なり、国威+10もらえてお得であった。
また最初からの属国であったシレジアを併合。その結果
領内にポツンと残された国家が無くなり、国境が大分すっきりした。
またその最中陸軍レベルが18に到達し、
兵士のグラフィックを見比べてほしい(ちなみに少し後の時点のSS)
遂に歩兵が銃装備となった。
ちなみにオーストリアとくっついた史実ボヘミアはテルシオだが実益を取ってマウリッツ歩兵を採用。
グラフィックも銃装備に変わる。是非強敵相手に撃ちまくりたい。
ただし上記の戦争は強敵不在で呆気なく終わった。何れも年内終戦である。
さて、ミッションとして
こんなのが出てきたが、オスマンの海軍力は
計73隻。ちなみに元々内陸国のこちらは16/23隻。まるで勝負にならない。 ミッションを差し替えても良いが、どうせ大したミッションは出そうも無いので放置することに。
1555/02
BBRが下がってきた所でそろそろオスマン帝国との決戦をしたい。
オスマンは兵種が東欧グループに属し歩兵が銃を装備するのは陸軍レベル23である。
オスマンはスライダー特性のため技術レベルは西欧とそれ程変わらない。
よって陸軍レベル23に到達し歩兵の戦闘力が追いつかれる前に相手の領土を削っておきたい。
というわけで満を持して宣戦布告・・・・・・セルビアに。
オスマンは同盟国が多くて鬱陶しいので属国に宣戦する。
これで相手がセルビアとオスマンだけに限定できる。
さて、オスマンであるがスライダーの所為かやたら強い。
こちらが銃装備で優位であるはずだが、相手の領内で戦うと余程戦力差が無いと負ける。
こちら2万対敵1万5千ならほぼ負ける。
というわけで決して無理をせず少しずつ敵戦力を削る。
まあそれでも騎兵一個師団(十個連隊1万人)が全滅してしまったのだが。
さらにチャンスと見たかサボイがこちらに宣戦。
一応予備兵力はあるので相手を引き付けて補給を断つ作戦でいく。
1556/01
戦争中に新帝インジフ3世フリードリヒが即位。3-7-5 で能力はまあまあか。
疲弊度回復のために内政も欲しかったが贅沢は言うまい。
でチマチマ戦ってオスマンとは敵首都トラキア(コンスタンティノープル)を陥落させたあたりで和平。
1557/07
1557/12
さらに敵主力を壊滅させたサボイとも和平。
ルテーナ・ベッサラビア・トランシルヴァニア・ブジャク・ベルン・サヴォアの計6プロヴィンスを獲得し、
さらにオスマンから敵の力を削ぐためグルジアを独立させた。まずまずの戦果と言えるだろう。
ただしBBR以上に疲弊度が溜まってしまったので暫く休息である。
史実ではオスマンが度々ウィーンを包囲してオーストリアを苦しめていた頃だが、
既にオーストリアとプロイセンを合わせた以上の国力のボヘミアでは逆にこちらが攻勢に出ることができる。
仮想敵国フランスとも接してしまったので、早いうちに脅威を取り除いておきたい所である。
1560/08
疲弊度回復中に新帝ヴィクトリン3世即位。4-6-8 とまあまあの能力値。にしても代替わりが早い。
また統治レベルが20に達し、喜び勇んで全土に按察所を建設する。
これともうすぐ建設可能となる市場とで収入は随分上がるはずである。
1566/10
疲弊度回復後先ずクロアチアに宣戦し飛び地ソルノクを奪う。
1568/02
そして落ち着いたら対オスマン第2戦。今度はボスニアに宣戦。我ながらセコイ。
戦争中建設可能となった市場を全土に建てながら敵軍を領内に引き付けて撃破する戦法で兵力を削り、
こちらも3個師団くらい壊滅させられながらも敵を圧倒。
バルカン半島をあらかた制圧したところで和平。
1571/08
今度はバナート・オルテニア・ワラキア・チェルソン・シリストラ・ブルガリア・ニシュ の7プロヴィンスを獲得し、領土を一気に広げた。
1575/04
休戦期間にBBRが減ったので海賊対策法を可決。BBR限界が下がる代わり国威の増加率が上がる。
筆者は毎回取っている。
1576/09
また陸軍レベルが22に到達したので
初めて騎兵がグレードアップ。これで騎兵も銃装備になった。
1577/05
さて3回目の対オスマン戦であるが、
丁度オスマンが東方で戦争中だったためかバルカン半島に敵はほとんど居なかった。
そのため戦いは特筆することは無く、
寧ろ戦争中に属国ハンガリーを外交併合したり、
統治レベルが22となったので国策「権利章典」を取ったりしたことが大きかった。
ちなみにカトリック以外の宗教の異文化プロヴィンスに按察所を建てると反乱発生率がギリギリとなり、
僅かの戦争疲弊で反乱発生率が上がってしまうため「権利章典」は是非欲しかった。
1579/01
さて、今回は宣戦したセルビアからコソボ、オスマンからブルガス・エディルネ・マケドニアを得た。
そろそろバルカン半島のみの制圧では戦勝点があまり多く得られなくなってきた。それでも
大分いい感じに広がってきた。得られた領土はそれ程多くはなかったが、 オスマン帝国領を分断できた。次回からチマチマ削るのが楽になるだろう。
オスマン帝国は大分削ったが、アジア側にも広大な領土を持っているのでまだ楽観はできない。
海外植民地はイギリスとカスティーリャ、西欧はフランスの天下である。
イタリア進出はサボイが都市国家を潰すのを待つつもりであったが、
よく考えたら何れも神聖ローマ加盟国なので、
ドイツ同様無理に潰さずとも良いかもしれない。
容赦無くサボイを叩くこともそろそろ視野に入れるべきであろうか。